「蒼龍」「飛龍」のイイとこどり? 空母「雲龍」竣工-1944.8.6 ただ完成、遅すぎ!

旧日本海軍の空母「雲龍」が1944年の今日、竣工しました。航空戦力を補強するため、戦没した「飛龍」の図面を流用し量産を試みた中型空母の1隻でしたが、敗色濃くなるなか、戦果らしい戦果はあげられませんでした。

「飛龍」の設計図流用し中型空母を建造

 1944(昭和19)年の8月6日は、旧日本海軍の航空母艦「雲龍」が竣工した日です。当時、すでに航空戦力が勝敗を左右することは周知の事実となっていましたが、戦局は圧倒的にアメリカ有利に傾いており、就役しても搭載する航空機がないなど、その存在意義に疑問符が付く空母となってしまいました。

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1944年7月16日、横須賀で撮影された航空母艦「雲龍」。

 太平洋戦争開戦から半年後の1942(昭和17)年6月、ミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は中型空母の建造を急ぎます。こうした経緯で生まれた雲龍型空母は10隻あまりの建造が計画されたものの、戦局の悪化などから3番艦「葛城」を最後に終戦を迎えます。

「雲龍」は、前出のミッドウェー海戦で沈没した「飛龍」の図面を流用して建造されました。ただ、それまでの実戦における使い勝手などは反映されており、たとえば艦載機の離着艦の際に不都合を生じた左舷側の艦橋は、「蒼龍」と同じく右舷側に設置されています。ほかにも対空機銃の増設や格納庫エレベーターの大型化なども施されました。

 しかし「雲流」が竣工した頃は、サイパン島およびグアム島を巡って勃発したマリアナ沖海戦で旧日本海軍が敗北した直後。航空機や搭乗員を多数失い、そもそも搭載する航空機がないばかりか、燃料も十分ではありませんでした。そのため、「雲龍」は空母としての任務に就けないまま、訓練などを行い待機し続けます。

【写真】潜水艦が捉えた「雲龍」の最期

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1件のコメント

  1. このいわゆる標準型の日本空母はもうこの時代標準形としては小さすぎて使い物にならなかったことになぜ言及しない