「蒼龍」「飛龍」のイイとこどり? 空母「雲龍」竣工-1944.8.6 ただ完成、遅すぎ!

「輸送船」として使ったことも、犠牲者増大の要因に

 1944(昭和19)年10月、フィリピンのレイテ島を巡ってレイテ沖海戦が勃発。空母や戦艦のほか多数の航空機を失い、またしても旧日本海軍は大敗北を喫しました。「雲龍」は一連の戦いには参加していませんが、所属していた航空隊は戦線に投入されました。

 いよいよ航空戦力を消耗したことで、もはや「雲龍」には出番がない状況になります。その後は広い格納庫と中型空母譲りの高速性を活かし、輸送任務に用いられました。武器・弾薬のほか大発動艇や軍用車両、陸軍部隊までも輸送しています。

 12月、「雲龍」はフィリピン方面における防御作戦のため、特攻専用機「桜花」を搭載。駆逐艦の護衛を付け、マニラを目指し東シナ海まで進出していました。

 19日午後、艦隊はアメリカ軍の潜水艦に発見されます。駆逐艦が爆雷を投下するなど応戦しますが、潜水艦は魚雷を発射。うち1本が「雲龍」に命中します。電源設備の損傷と浸水により、「雲龍」はほどなくして航行不能に。輸送物資を海中に投棄し復原を試みますが、またしても潜水艦が放った2本目の魚雷が「雲龍」に命中しました。

 搭載していた「桜花」に引火し、「雲龍」は火災に見舞われます。消火もままならず、夕方に「雲龍」は沈没。なお、この時も兵士が大勢乗艦していたことから、犠牲者は旧海軍の空母史上、最多だったといわれています。

 敵部隊を攻撃するため外洋へ進出し、艦載機を発艦させる――「雲龍」には最後まで、その機会が訪れることはありませんでした。

【了】

【写真】潜水艦が捉えた「雲龍」の最期

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コメント

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1件のコメント

  1. このいわゆる標準型の日本空母はもうこの時代標準形としては小さすぎて使い物にならなかったことになぜ言及しない