【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第13回「新幹線開業」

東海道新幹線開業50年を目前とした今、乗りものニュースではどのようにして新幹線が計画され、開業に至ったのかを振り返ります。第13回は「新幹線開業」です。

昭和39年10月1日

 東京オリンピックの開会式を10日後に控えた昭和39年(1964年)10月1日午前5時40分、東京19番線のホームには「ひかり1号」が入線し、出発を静かに待っていました。その脇のホーム上には、日本国有鉄道石田総裁を筆頭に、副総裁、東京都知事など蒼々たる顔ぶれが並び、「東海道新幹線」の出発式が執り行われようとしていました。

 吹奏楽団によるファンファーレが鳴り響き、石田総裁が大阪府知事と大阪市長へ宛てたメッセージを読み上げ、それを一番列車の車掌に託します。そして発車ベルが鳴ると同時に、石田総裁の手によるテープカットが行われ、「ひかり1号」は満員の乗客を乗せて新大阪駅へ向けて出発していきました。

 また、同時刻には新大阪駅でも「ひかり2号」を送り出す出発式が行われました。

 10時10分になると、国鉄本社で天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、開業式典が催されました。天皇陛下からは「東海道新幹線が幾多の困難にうちかって、見事に完成し、本日その開業式を迎えるに至ったことは、私の深く多とするところであります。わが国の鉄道は、近年著しい発展を遂げ、国民生活の向上と産業経済の発展に多大の貢献をしてきましたが、関係者は、今後さらに力を合わせ、輸送力の充実と安全の確保に努め、その使命を達成するよう希望します」とのお言葉を賜りました。

 世界に誇る、世界で初めての高速鉄道がその第一歩を記した、記念すべき一日です。

列車名と開業後の動き

2003年10月1日の品川駅開業に合わせたダイヤ改正まで、東海道新幹線は「ひかり」中心のダイヤだった。写真は2002年9月、名古屋駅で撮影。

 列車の愛称は公募されました。この公募には、インターネットなどその姿形もない時代にもかかわらず、何と56万通もの応募が寄せられ、一位に輝いた「ひかり」が超特急タイプの列車名に、そして十位ながら、東海道本線の特急として名の通った「こだま」が、特急タイプの列車名に、それぞれ付けられました。

 公募で上位に入った名称は、第二位が「はやぶさ」、第三位が「いなずま」、第四位が「はやて」、第五位が「富士」となっています。

 東海道新幹線の計画は、東京~新大阪間を最高速度210km/h、3時間10分で結ぶものでした。しかし着工から5カ年という超短期間で行われた突貫工事の影響で路盤が不安定となっており、当初は最高速度を200km/h、東京~新大阪間の所要時間は、当面4時間で結ぶことになりました。

【第14回:開業後に起こった様々な問題に続く】

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1件のコメント

  1. 昭和45年から、運転士として乗務していました。 掛川付近では、地盤不良で120k/hの徐行運転が度々指定されていました。 例のホッサマグナの影響です。