戦艦「大和」に傷病者が殺到したワケ 海自護衛艦「いずも」と「大和」の意外な共通点

旧日本海軍の戦艦「大和」は、前のタイプである戦艦「陸奥」から約20年ぶりに就役した戦艦です。建造がそれだけ開いていたため、兵装だけでなくさまざまな点で一新され、医療面でも従来の軍艦とは段違いの充実ぶりでした。

戦艦「大和」の医務室は病院並み

 日本海軍最大の戦艦「大和」。乗員数は約2300人から2500人であり、その前の戦艦「長門」が約1400人であったのと比べると、1000人以上増えています。ここまで乗員が多いと、集団感染や食中毒などの対策が必須となります。また戦闘時は多くの負傷兵が運び込まれることを想定しなければならず、乗員の健康を守り、戦闘時は大量の負傷者救護に対処できるよう、軍艦としては充実した医療機能を「大和」は持っていました。

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旧日本海軍最大の軍艦である戦艦「大和」。同型艦の「武蔵」とともに優れた医療設備を艦内に備えていた(画像:アメリカ海軍)。

「大和」に乗り込んだ軍医や衛生兵が所属したのは医務科で、旧日本海軍の分隊呼称でいうと第21分隊と呼ばれる部署です。ここはトップである軍医長を含めて軍医が7から8人、薬剤師資格を持つ薬剤士官が2人、衛生兵(現代の看護師)をまとめる士官の看護長が1人、そして衛生兵が20人の合計30人規模でした。

 一方、戦闘艦艇としては小型である駆逐艦の場合、平時は艦固有の軍医はおらず、駆逐艦4隻で編成される「駆逐隊」という小さな艦隊単位で、軍医2人を配置する形をとっていました。なぜこのような少人数配置なのかというと、駆逐艦が軍艦ではないことに由来し、複数が集まって編成される「駆逐隊」で、ようやく巡洋艦以上の軍艦1隻と同一レベルとみなされるためでした。

 ただし、この配置はあくまでも平時に限ったことで、太平洋戦争中は状況に応じて駆逐艦1隻単位でも軍医が配属されています。それでも戦争末期、「大和」の沖縄特攻に同行した駆逐艦「雪風」では、軍医は1人だけで、あとは医師資格のない衛生兵のみでした。

【写真】日本に来たアメリカ海軍の巨大病院船「マーシー」

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コメント

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1件のコメント

  1. 人口そのものが違うし、運用、運行の状況、”医療”に対する考え方も時代のよって違う。
    一概に比較してもねぇ。