飛行甲板を大改造 空母「赤城」進水-1925.4.22 海底で眠る姿も77年後に確認

ミッドウェーの海に没するも21世紀に発見

 太平洋戦争が始まる前の戦歴としては、中華民国軍と戦った日中戦争(1937年~)に出撃。上陸部隊の掩護や支援に従事しました。

 1941(昭和16)年12月、太平洋戦争開戦の契機となった真珠湾攻撃に参加。ほかの日本空母5隻とともに、作戦を成功させます。その後はインド洋へ進出し、翌1942(昭和17)年4月にイギリス軍やオランダ軍などと交戦します。

 インド洋で繰り広げられたセイロン沖海戦では、「赤城」を発艦した攻撃隊がイギリス海軍の空母や巡洋艦を撃沈。南方で連合運を打ち破っていきました。

 しかし同年6月、太平洋戦争における勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦が運命の一戦となります。5日朝、ミッドウェー島の攻撃へ向かった味方機から相次いで「敵艦隊発見」が報告されると、「赤城」の飛行甲板では艦載機に対し、陸上攻撃用の爆弾から艦船攻撃用の魚雷へ転換が行われました。続く攻撃隊の発進は大きく遅れます。

 慌ただしい「赤城」に、アメリカ軍の急降下爆撃機が襲来します。発進準備中の飛行甲板に爆弾が命中し、うち1発が格納庫まで入り込んで爆発しました。格納庫内の爆弾や航空機燃料に次々引火したほか、航行にも支障が出ます。

 大火災に見舞われた「赤城」は消火活動もままならず、また戦死者の増大も相まって自力航行が不能になります。日付が変わるころ、「赤城」の雷撃処分が決定。味方駆逐艦が放った魚雷が命中し、「赤城」は翌6日深夜に沈没しました。なお、この海戦ではほかに、「加賀」など3隻の空母も沈没しています。

 それから77年後の2019年10月21日。「赤城」はミッドウェー沖の海面下5400mで発見されます。発見者はアメリカのマイクロソフト社を創業した故ポール・アレン氏の調査チームでした。なお、「赤城」から33km離れた海面下には、「加賀」も眠っています。

【了】

【写真】戦艦「長門」と並ぶ空母「赤城」 意外と大きい

最新記事

コメント