MRJ、YS-11以上 消えゆく隠れた国産傑作機

LR-1の能力が活用された雲仙普賢岳の噴火

 1991(平成3)年の雲仙普賢岳噴火においては、LR-1が上空から空撮を実施しています。ヘリコプターではどうしても斜めからの撮影となってしまうため、垂直写真を上空から撮ることのできるLR-1は貴重な情報収集手段でした。

 しかし自衛隊のMU-2は、残念ながらまもなく「運用されていた」と過去形で語ることになります。航空自衛隊機は2008(平成20)年に後継機U-125Aの配備が完了し、全機が退役しました。

 陸上自衛隊のLR-1も、2015年7月時点において数機(1機という不確定情報)しか残っていません。すでに後継機LR-2(ビーチ・エアクラフト「キングエア」)の配備が行われており、今年中に全機が退役する見込みです。

 この先、日本においてMU-2を見る機会はほとんど無くなってしまいます。しかし、輸出された機体については別です。

「MU-2生誕50周年を記念し、アメリカ人のオーナー様がMU-2を飛ばし世界一周をされたようで、MU-2生誕の地である県営名古屋空港にも着陸したことがあります。その出来事がとても印象に残っています」(三菱重工業広報部、諏訪下さん)

「I love it!(MU-2が大好きだ!)」(リッチ・ホワイト米空軍退役中佐)

 世界中で愛され続ける、知られざる国産傑作機MU-2は、今後も空を飛び続けることでしょう。

【了】

Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 確か、三菱はMU-2の製造権利を米ムーニー社に売却したと聞きましたが。