世界初の「寝台座席可変電車」583系 なぜ生まれ、消えていったのか(写真10枚)

583系誕生の背景

 583系誕生のキーワードは「長距離電車大国ニッポン」「高度経済成長」「赤字国鉄」です。海外では電車は短い編成で短距離に、客車は長い編成で長距離に使われました。しかし、戦後の日本では通勤ラッシュ対策のため電車の導入が進み、混雑区間に乗り入れる長距離電車も電車化が進みました。1958(昭和33)年に東京~大阪間で電車特急「こだま」が走り始めると、客車特急より所要時間が短縮されて人気列車となりました。駆動方式も新しく、当時の一般的な電車のようにうなるような音もありません。

 これほど静かなら、寝台電車を作っても眠れるでしょう。そこで寝台電車の開発が始まります。当初は寝台客車と同じ開放寝台車として室内を検討していました。高度経済成長期に入り、鉄道の需要は急増していました。高速道路の整備は進まず、航空運賃も高額だったため、長距離の旅行は鉄道利用が常識でした。昼間だけではなく夜行列車を走らせないと需要に追いつきません。

浮上したある問題

 ところが、ここでもうひとつの問題が浮上します。新たに寝台電車を増やしても、日中の保管場所が足りません。国鉄は1964(昭和39)年から赤字経営になっていました。列車を増やす必要がある反面、設備投資を最小限にする必要がありました。そこで車両の増加と複線化を優先し、車両基地の増強は後回しとしました。列車は増やしたい。しかし保管場所はありません。

 それなら車庫で長時間待機させるより、走りっぱなしにしよう。和室に布団を敷いて寝室にするように、昼間は座席、夜間は寝台で運行しよう。この奇抜なアイデアを実現化した電車が583系です。昼間は4人掛けボックスシート、夜間は3段ベッドです。向かい合った座席の座面を引きだして下段ベッドとし、天井に格納した中段ベッド、上段ベッドを組み立てます。

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向かい合わせボックスシートの天井部分に中段・上段寝台を格納している。
下段ベッドをセットした状態。客車A寝台より若干幅が広かった。
ゆったりとしたボックスシート。新婚旅行客や1人客などから不評だった。

 昼間の座席は方向転換できず、ボックスシートになるため、当初は急行用として考えられました。しかし、夜行特急として500 km以上の距離を約8時間で運行した場合、同じ区間で昼間に急行として運行すると10時間を超えてしまいます。これでは昼夜両用として折り返せません。そこで、ボックスシートのまま特急として使うことになりました。

 当時の特急の座席はリクライニングしなかったため、難点は方向転換できないことだけでした。座席の方向転換はできませんが、寝台で使うため、向かい合わせた座席の足下はグリーン車より広く、クッションは厚くなっています。客車の寝台は区画ごとに壁があります。この壁をなくして広く見渡せる車内にしました。天井が高いこともあって、この座席は広々とした豪華な印象を与えました。

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コメント

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13件のコメント

  1. 583系の実績は記念碑に値するが、715系に改造される昭和58年頃はむしろ失敗作という向きが多かった。59-2.60-3改正時車両の新製を極端に減らしたから715.419系で再起出来た。
    そうでなければ50系客車のように早期に全廃された可能性も高い。

  2. 前世紀かつ前元号のころ、583系に乗るために「きたぐに」で立山黒部アルペンルートに行った。これが最初で最後の乗車。

    • 夜行「立山」でしたね。

  3. 現行の「サンライズ出雲、瀬戸」も数年後には車両自体の老朽化がクローズアップされるでしょう、その時点で乗客数や収益面で採算ラインに合っていれば大規模リニューアルや新車導入されるかもしれんが、下手すればコスパの観点から廃止されかねない

  4. 秋田に行くとき、運賃と乗車時間を考えて夜行バスではなく急行津軽にした。
    583系に乗りたかったのもある。
    念のため指定席を予約したが、自由席も空いてるので1ボックスを占領し、勝手にベッドへw
    車掌も判っていて、翌朝客が乗りはじめたら座席に戻すよう言われた。
    山形の真室川で迎えた朝は忘れられない。
    総じて気軽な旅行だった。

  5. 583系に乗った時の一番の思い出は、客室は2段目3段目が格納されたカバーや網棚で天井は高いけど幅が狭く、ちょっと圧迫感があったけれど、食堂車は座席車(グリーン車)にある網棚もなく、天井の幅も広くとても高くて開放感・ゆったり感がすごかったことです。あのゆったり感に浸りたくて、食堂車に足を運んだものです。
    後年、「トワイライト」の食堂車が485系譲りだったので、583系だったらもっとよかったのにとちょっと残念に思ってもいました。

  6. 「寝台座席可変」で車両基地で停まってる時間を減らし、「電車」で折り返しの時間を減らした。つまり最大限走らせる為に造られた車両な訳で、重量を抜きにしても痛みの激しくなる運用をされたはず。更に改造して加減速を繰り返す普通列車で酷使。貧乏国鉄ここに極まれり?

    「きたぐに」の様な夜行急行と昼行急行(夜行以前に絶滅)が設定できてれば、それが当初想定通りの最もふさわしい運用だったろうに。夜行に座席を混在できたし、特急としては座席の足元狭かったし。(広かったという人は、向かいに誰も座ってなかったのだろう)

    「きたぐに」で思ったのは「走るカプセルホテル」。3段とも四角い箱空間ではなくて、下段では大きな窓に寄れば上半身起こせて、ちょっと違った意味で特別感はあった。

    • なるほど一理ありですね。
      北陸本線で言えば「立山(昼行)」「ゆのくに」、鹿児島本線は「かいもん(昼行)」、日豊本線は「日南(昼行)」に宛てられていれば、今よりも格段に名車の誉れ高かったかも知れませんね。

      そして国鉄が存続したか、別の形での継承企業体が営まれていたならば、もう少し早い段階で後継車輌が登場していたか・・・?

    • 実は国鉄末期はJR以上に夜行列車の投資には消極的だったのでむしろ座席車化して消滅という考えもあったでしょう。14系15形が限定的な投入だった事、当初から個室B寝台を改造で行う(設計時は国鉄時代)点にその考え方が垣間見れます。

  7. かっこいい車両だったけど。向かい合わせの席が特急らしく無かった。寝台は高くて乗れなかった。製造当初は目的に合っていたのでしょうが、その後は欠点が目立っていたのですね。

  8. パンタ下にだけ唯一あった2段は、1段分の天井が高く、あの解放感が忘れられません。
    3段の下段では、大窓を占領して、夜の流れゆく景色を眺めたものです。(駅に停まるとホームから丸見えでしたが・・・)
    懐かしいなぁ・・・

  9. 「北斗星」が満席のため1990年代に「はくつる」として青森→上野を利用しましたが、上段寝台は狭苦しかったです。
    おまけにスピード出ると揺れは激しい、両側がカーテンなので圧迫感があったりで、正直良い感想はなかったです。
    やはり寝台特急は絶対ニーズはあるので、週末1往復で良いから上野~札幌間に新世代車両でサンライズエクスプレスを新設して欲しいものです。

  10. 581系、博物館で見たい...