道路のセンターライン「黄白黄」どういう意味? そもそも黄色や白色、破線の意味は?

道路のセンターライン、基本は白の実線、破線と黄色実線の3種類ですが、これが「黄白黄」と3本の組み合わせで引かれている場所があります。どのような意味になるのでしょうか。警察庁に話を聞きました。

道路のセンターライン そもそも単独ではどういう意味?

 高田馬場駅(東京都新宿区)付近の早稲田通りに、「黄白黄」というセンターラインが引かれています。白色の実線の両側を、黄色の実線でサンドしているものですが、どういう意味になるのでしょうか。

Large 191220 cl 01

拡大画像

高田馬場駅付近の早稲田通り。道路のセンターラインはいずれも実線で「黄白黄」と引かれている(2019年11月、乗りものニュース編集部撮影)。

 そもそも道路のセンターラインには白色と黄色が、そして白色は実線(連続線)と破線(点線)があり、黄色は実線のみです。この3種が単独で、あるいは組み合わされて、センターラインは引かれています。

 白の実線と破線は、基本的に道路幅が片側6m未満の道路に破線、実線は片側6m以上ある道路に引かれます。その示す意味の違いをかんたんにいうと、実線が「原則としていついかなるときも右側車線へのはみ出し禁止(例外規定あり)」なのに対し、破線のほうは「前走車を追い越す場合などにセンターラインを超え右側車線へはみ出すことができる」ということになります。

 このとき、白の実線はあくまで「はみ出す」ことを禁止しているものなので、追い越しが禁止されていない区間では、センターラインをはみ出さない範囲で前走車を追い越してもよい、ということになります。

 一方、実線しかない「黄色」のセンターラインは、白の実線が前述のように「原則はみ出し禁止」なのに対し、「追い越しのためのはみ出し禁止」と条件を絞って規定されている点が異なります。つまり、追越し以外のケースにおいてはみ出して通行することは認められており、そしてセンターラインをはみ出さないのであれば前走車を追い越しても構わない、というわけです。白の実線は、そのようなわけで黄色よりも厳しい規定といえるでしょう。

【写真】地域で異なる道路の「止まれ」

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 白の実線に関して正しく理解してないな。
    道交法と標識令の条文を読んでみ。

    白の実線の中央線は右側へのはみ出しを「禁じる」ものではなく、あくまでも、道交法のはみ出し禁止の規制を「強調する」ためのもの。はみ出し禁止自体は道交法で決まるので、白の中央線が実線であろうと破線であろうと関係ない。どちらであっても道交法の規定に該当すればはみ出し禁止になる。
    黄色の中央線が道交法上、追越しのためのはみ出し禁止を示す道路標示と位置付けられているのとは違うのだ。

    白実線と破線の違いは、規制の違いではなく単に「強調」するかどうかだけ。道交法に従った規制が先であり、線の種類は規制を前提にして「強調」の必要性だけで決まる。

    左側が6m以上の道路がはみ出し禁止なのは、中央線が実線だからではなく、道交法で左側の幅員が6m以上の場合は追越しのためのはみ出しは禁止だから。それを「強調」するために白実線を引いているだけ。線の種類によって決まるのではなく、道路の幅で決まる規制を判り易いように「強調」しているだけ。

    横断歩道及びその点手前30mのところは、大抵は幅員に関係なく白実線になっているが、これも、単にはみ出し禁止を「強調」しているだけ。横断歩道及びその手前30mは追越し禁止なので、当然に追越しのためのはみ出しも禁止だが、これも道交法に定めがあるからで、中央線が実線だからではない。事実上全て実線になっているとしても、それは、横断歩道及びその手前30mが追越し禁止だから当然に追越しのためのはみ出しも禁止になることを前提に、単に「強調」しているだけ。

    更に、左側の幅員が6mない限り、横断歩道の「先」30mは白実線でも追越しのためにはみ出すことができる。この白実線部分は、反対車線側にとって横断歩道の手前30mであるから追越禁止であるが、こちらの車線から見れば追越し禁止ではないからだ。道交法上、追越し禁止でない以上、白実線は、追越しのためにはみ出すことができる。

    そもそも左側の幅員が6mに満たない道路で、横断歩道の手前以外の場所も全て白実線の場合もある。例えば東京都世田谷区用賀界隈に、片側3mもない道路の中央線が白実線になっているところがある。その場合、「破線の場合と全く同様に」道交法上の禁止場所でない限り、追越しのためにはみ出しは可能。
    白実線は単なる「強調」に過ぎず、何かを規制するものではない。