WW2最大最強の空母「信濃」どう使うつもりだった? 大和型の3番艦が装甲の塊になるまで
戦艦ではなく空母として進水した大和型戦艦の3番艦「信濃」。「大和」譲りの強力な装甲を装備した不沈空母として旧日本海軍は使う予定だったようですが、完成前に沈められています。一体どんな運用を行う予定だったのでしょうか。
大和型戦艦を改良した3番艦として建造開始
世界最大の戦艦として知られる旧日本海軍の大和型戦艦。その3番艦を改装したのが航空母艦「信濃」です。基準排水量6万2000トンは、2022年現在も通常動力空母としては世界最大の記録を破られていません。旧日本海軍は、「信濃」を戦艦ではなく空母として完成させ、どのように使おうと考えていたのでしょうか。
そもそも旧日本海軍は、世界最大の大和型戦艦を呉と長崎で建造しましたが、就役後に入渠できるドック(船渠)が呉にしかないのは運用上問題があるとして、横須賀に全長336m、全幅48.5mの巨大ドックを造ります。
そのドックは「横須賀第六号船渠」と名付けられますが、戦艦「大和」を建造した呉の第四号船渠の大きさは全長338.1m、全幅44.86mであり、それよりも大きな横須賀の第六号船渠は完成当時、世界最大級でした。
この世界最大の横須賀第六号船渠を使って建造されたのが「信濃」です。のちに「信濃」と命名される大和型戦艦3番艦(建造中の呼称は110号艦)は、1940(昭和15)年5月4日に、第六号船渠完成と同時に建造を開始しました。なお、3番艦ということで、建造中の1番艦「大和」の改良点が設計に反映されていました。
まず防御力過剰ということで、舷側装甲と水平装甲を10mm、バーベット(砲塔基部の装甲)を20mm減じています。主砲塔の前盾も減厚されたという説もありますが、アメリカに接収された「信濃」用主砲塔の前盾は「大和」より10mm厚い660mmであったため、その部分はよくわかりません。
装甲を減厚した分の重量は、艦底部分の防御に回されました。当時、ドイツ海軍ではすでに最新の磁気機雷を使用していました。また、日本でも艦底起爆式の魚雷が開発されていたため、大和型戦艦の「艦底防御は弾火薬庫の下方のみ」という思想では不十分と見なされたといえるでしょう。
そこで「信濃」では機関部下方も三重底とし、二重底部分にも50mm厚の装甲を張りました。ただ、建造開始後に改設計が行われたため、この変更で建造が3か月停滞しています。
ハコモノ軍備?
最大の失敗は、空母への改遅れたことことですね。1942年のミッドウェー海戦前後に完成していたら、状況は変わっていたかもしれませんが、、、もっと言えば、長門・陸奥を建造したドッグを利用して、空母・大鳳クラスの大型空母を3隻戦前に建造していたら、、歴史のIFですが、、、