貴重な現役「鉄道連絡船」に乗る 国鉄時代の生き残り “JRらしさ”たっぷりの体験とは

かつて国鉄は全国で鉄道連絡船を運航していました。青函トンネルや瀬戸大橋の開通などで数を減らし、現在ではJR山陽本線の宮島口駅に隣接する宮島口桟橋と宮島桟橋を結ぶJR西日本宮島フェリーだけが残っています。どんな航路なのか乗ってみました。

JR西日本宮島フェリーは今年で123年目

 かつて鉄道会社は連絡船を多数運航していました。海が隔てる青森~函館間の青函連絡船や、本州の宇野と四国の高松とを結ぶ宇高連絡船が代表的なものです。

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宮島口桟橋~宮島桟橋間を結ぶJR西日本宮島フェリーの「ななうら丸」(2024年3月、安藤昌季撮影)。

 鉄道連絡船の歴史は古く、1833年にイギリスのモンクランド&キルキンティロック鉄道が、運河を越えて車両を送るために運航したのが始まりです。日本では1882(明治15)年、東海道本線が全通していないために、滋賀県の長浜~大津間で運航された琵琶湖航路が最初です。

 日本では陸上交通の整備とともに数を減らしましたが、2024年現在も現役な連絡船があります。広島県廿日市市の宮島口桟橋と宮島桟橋とを結ぶJR西日本宮島フェリーもそのひとつです。

 JR西日本宮島フェリーは、1902(明治35)年に開業した宮島渡航会社が、宮島~厳島間を結んだ宮島航路が始まりです。翌年に山陽鉄道(現在のJR山陽本線を建設した私鉄)が宮島渡航会社を買収し直営としたことで、鉄道連絡船となりました。ただ山陽鉄道も1906(明治39)年、国に買収されたことで、連絡船も国が運営することになりました。

「鉄道」連絡船でしたので、国鉄が管理していた時代も「国鉄路線の一部」として扱われ、きっぷも船区間も含めて通しで買うことができました。その後は1987(昭和62)年の国鉄分割民営化で、宮島航路はJR西日本に受け継がれます。

 青函連絡船が1988(昭和63)年に青函トンネル開業で廃止、宇高連絡船が瀬戸大橋開業後の1991(平成3)年に廃止されると、宮島フェリーはJR直営で唯一の鉄道連絡船になります。しかし2009(平成21)年にJR西日本の完全子会社であるJR西日本宮島フェリーに移管されると、「鉄道路線と同一扱い」ではなくなり、片道200円(子ども100円)の独立運賃となって現在に至ります。

 ちなみに南海フェリーが運航する和歌山港~徳島港間の南海四国ラインも、南海電鉄と連絡運輸をしており、現在も運航されている鉄道連絡船です。

国鉄の名残を探せ!? JR西日本宮島フェリーの船内(写真)

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