「スカイライン」≠「GT-R」のナゼ 歴史と伝統、そしてゴーン氏の「決断」
かつて「GT-R」といえば、日産「スカイライン」の最高級スポーツグレードを表していました。いまでは別々のクルマとして歩んでいますが、なぜそうなったのでしょうか。歴史をひも解くと、もっともな理由が見えてきました。
「スカイライン」と「GT-R」、その歴史を振り返ると
自動車業界の年始の恒例行事が、「東京オートサロン」です。2017年も、さまざまなメーカーやショップが力の入った展示を用意しました。日産がお披露目したのは、「スカイライン」のカスタムである「プレミアム スポーツ コンセプト」。そして「GT-R」の2017年モデルでした。
日産「GT-R」は、日本が世界に誇るハイパフォーマンスカーです。性能的に優れているだけでなく、長い歴史があり、その歴史が育んだ伝統を守っているところも魅力です。「GT-R」の伝統とは、4人ないし5人乗りであること、2代目より続くテールの丸形ブレーキランプ、そして初代より続く6気筒エンジンということ。このみっつは、現行モデルである6世代目のR35型「GT-R」にも受け継がれています。
ちなみに現在の名称は「GT-R」ですが、先代のR34型までは「スカイライン GT-R」。1969(昭和44)年に発売された初代から現在までの長い歴史を振り返ると、いまの「GT-R」とのみ呼称される期間の方が短く、年輩のクルマ好きにとっては、「スカイライン GT-R」の方が馴染み深いことでしょう。
スカGの愛称で育った40歳以上のスカイラインファンの一部には納得出来ない人が居る、CEOの決定に社員は逆らえないから仕方ないのかも知れないけど、スカイラインGTはスカイラインに直列6気筒エンジンを搭載したモデルにだけおごられるバッチである事が大前提、それにスペシャルスペックエンジンを積んだモデルがRのエンブレムをおごられる、それがスカイラインの伝統、それを平気で壊す外人に何が解るか!
と、思ってるファンは多い
そんなこと言ってるのは、極一部のマニアだけですよ。そういうファン達が古い体質から脱却できない会社を作り上げているって早く気づいて。
安心してください。ごく一部、ではないですよ!
だいたい、たかだかGT-R 1車種だけで古い体質どうこうが語れるはずもありません・・・
売上をキープする車種、夢(新技術)を具現化する車種、ブランドイメージを構築する車種(HondaだとNSX)、いろんな車種が集まって日産なのです。
強引に昔のR好きを悪者にされても・・・ねぇ。。。
ファンが望むからR32Gr.Aマシンをレストアやレプリカを新車から造ってイベントで走らせてるのは、会社の人達もスカイラインGT-Rを崇拝してるからではないですか?
日産社員も日産ファンもGT-Rに対しては一般凡人には分からない思いがあるんです。
古い考えのファンや社員が居てもいいんじゃないの?
鍋ぞうさんの言い分だと日産はGT-Rで持ってるような言い方ですね。
直6が古いとか誰が決めた?BMWだって直6でM3とかスパルタモデル出してるし、広くモノを見なくてはいけないのは鍋ぞうさんじゃないの?
24-Cさんも自分と同じ考えのようですね、別に日産に古いままでいてほしいとは思ってない、ただ伝統は守ってほしいって事だけ、スカイラインやグロリア、サニー、ローレルみんな日産を代表する車種だったのにCEOの一言で名前を無くしてしまうのは如何かなと思う、歴代乗り換えてきたユーザーの事をこれっぽっちも考えてない改革で車が売れるわけない、日産と言えばブルーバード、プリンスと言えばスカイライン、GT-Rが二千万円もするのが大量に売れますか?
もう少し一般大衆の手が届く価格にしないと、スカイラインの伝統の丸テールを受け継ぐ車として相応しくないと思う
だいたいCEOが就任した頃ポルシェに乗って事故ってるようじゃね〜
自分の会社の車に乗ってないければ何を言っても説得力無いですよ。
それに車メーカー以外にも伝統を守ってる会社はいくらでもある、車だけが常に最先端で過去のしがらみを拭えというならGT-Rはそろそろ四駆をやめたらどう?
今でも四駆でなければポルシェやアウディに勝てないなら造ってる意味が無いと思う
GT-RはスカイラインのGT-Rである事に意味がある、それが羊の皮を被った狼の由縁ですから、車に限らず昭和ナイズされてるのはなぜ?
古き良きもの全てが悪しきものでは無い、現にフィルムカメラやレコード、寝台列車が復活の狼煙を上げてきたご時世、日産が次期GT-R(仮)にスカイラインの名前を戻すかもしれないR36スカイラインGT-Rが小さくなって安くなって直6NAで260馬力くらいの振り回しやすくて速いFRGTクーペを出してほしいとファンは願ってる
それが一車種一ファン
車をトランスポートの道具としか考えてない人には分からない拘りさ
ヒロオミさん、伝統の名前が消えていった件について一部が間違っていますのでコメントさせていただきます。
サニーからティーダに変わる際、意外かも知れませんがゴーン氏は サニーの名前を残すように命じました。しかし、日産社員が名前が古くさいと言って猛反対したために やむ無く名前を変えたようです。
個人的にも、サニーは大衆車の名前としていい名前だと思いますし、英語圏の方にはいい名前だと捉えられる言葉のようで、勿体無いことをしたなと思いますね。
4ページ目の「GT-R」と「オー・ルージュ」のサブタイにだまされた。
幻のスライラインにGT-Rのドライブトレーンを組み込んだ「オー・ルージュ」が出てくるものだと。
スカイライン一辺倒であった自分ですが、スカイラインとGT-Rを完全分離した事は記者コメントにもあるように、それぞれが充実発展する為には良かったのかも知れません。過去同様にスカイラインGT-Rでは双方に流用出来るような設計も必要であり、特にGT-Rの開発へは様々な制約も発生する筈。
しかし・・・個人的にはスカイラインが全く別の車となってしまったのが残念。車としては優れているのも確かだが、これまでとは全く別物で伝統の丸いテールランプも消滅。今ではインフィニティマークになってしまい、グレードによってエンジンも他社製。
ヒロオミさんのコメントにもあるように、長年日産を乗り継いでいる層にとっては違和感も多々であろうし、日産と言えば兄弟車を除けばサイズ別にサニー・ブルーバード・ローレル/スカイライン・セドリック・プレジデントと伝統ある車名・車種があった筈。
ルノー傘下となってゴーン氏はイメージだけでも「とにかく今までの日産とは決別」すべく車名をほぼ全て変えてしまったとしか思えない。市場の縮小で車種の統廃合は仕方なくも、上記サイズ別に各1車種でのラインナップはイメージ的だけであっても既存顧客の客離れは防げたのでは?
実は自分も・・・最後のスカイラインと言えるR34を「家族がマニュアルを運転出来ない!」との理由で買い換えざるを得ず、しかしインフィニティマークが嫌で丸型テールでもない名前ダケのスカイラインも嫌だったので、仕方なくティアナへ買い替えしてしまった(最後まで4気筒は嫌だったが現行車は選択肢がなく・・・)。
車は創る側も乗る側もそれなりのポリシーを持ってる人が多いと思います。
そんなポリシーを簡単に壊してしまう車名変更は確かにユーザー離れを招きますよ。
日産合併前のダットサンやプリンス時代からの車種を簡単に変えてしまうのはどうなのか、ルノーが逆の立場だったらどうだったんでしょうね〜
ルノーの車種を全て日産車の名前に変えられてスタイルなども伝統を廃したクルマ作りをされたらルノーファンは怒ると思います。
会社は経営戦略でと前の方が仰ってますが、それも伝統を受け継いだ車が有るから売れる場合も有るのだから、スカイラインの名前を外す事は無かったと思います。
先日新型NSXと35のつくばバトルとタイムアタックを観ましたが、初代NA1型やBNR32でも大して変わらないタイムを出してるので、新型が最高に高性能かと言うとそうでもないと思います。
それにレース車両と市販車では完全に別物なのど、市販車の価格が若者の手の届かないのでは売れないですよ。
若者の車離れはメーカーの価格設定と車の方向性が合わないからではないかと思います。
最近思ったんだけど、私には現行GT-Rの方向性が本来あったスカイラインGT-Rと違っている気がした。
まぁ別の車なのでそりゃそうだろと言われてしまえばそれでおしまいだが、スカイラインGT-Rはレースで勝つために生まれた車でありあくまでレースを前提としていた。だからレースカーとしてはとてつもない速さを見せたけど、市販車最速を目指してるって聞いたことない。現行GT-Rはなんだか「市販車最速目指してます」みたいな感じで少し違和感を感じる。
こんなところで言ってもしょうがないんだろうけど、スカイラインGT-Rには速さだけじゃない現行GT-Rに無い魅力が今尚あるから高額での取引がされたりパーツが再生産されてるんだと思う(ちょっと遅すぎだと思うけど)。
そういった魅力のある車が1台くらいはあって欲しいと思う。
スカイラインもスカイラインGT-RもGT-Rもかっこいいと思う。だからこそ「伝統」をないがしろにしないでもっと大切にして欲しい。
そしてそれが「スカイライン」であって欲しいと思うことはスカイラインファンとして想い続けたい。
賛否色んな意見があるのは承知で言いますが、私は今のGT-Rが大嫌いです。
GT-Rはスカイラインの中でも特別な称号であり、スカイラインと引き離される事自体が異常なのだと私は思うのです。
AE86やWRX、タイプRが今でこそ神格化されていますが、あのバッジはそれと同じくらい意味を持っているんです。
ブランドを熟成させるのは何大抵のことじゃないのは誰でもわかるはずです。それを踏みにじったあの人の体制を、私は今でも許せません。