【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第5回「戦後の東京~大阪間」

東海道新幹線開業50周年を記念し、どのようにして新幹線が計画され、開業に至ったのかを振り返ります。第5回は「戦後の東京~大阪間」です。

つばめ号復活

 戦後の東京~大阪間の輸送は、昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争の特需などもあり、急速な発展を見せました。昭和24年(1949年)になると東海道本線の電化区間が延び、戦後初の特急列車へいわ号が走り出しました。そしてその3ヶ月後、へいわ号は「つばめ」号へとその名前を変えることになりました。戦前に存在した超特急「燕」の復活です。

 昭和5年(1930年)に運転が開始された超特急「燕」は、C51・C53形蒸気機関車に牽引され、東京~大阪間を8時間(運行開始当初は8時間20分運転)で結んでいました。

 戦後復活した「つばめ」号は、それには及ばず9時間運転で運行を開始しました。また、南満州鉄道の特急列車名だった「はと」号が、つばめの姉妹列車として同じ区間で運行を始めました。同時期に急行列車「銀河」号も運行を開始し、東海道本線は活況を取り戻しつつありました。

 昭和25年(1950年)にダイヤ改正が行われ、「つばめ」と「はと」は戦前の水準である8時間で、東京~大阪間を結ぶようになりました。

 「つばめ」「はと」は、最後尾に一等展望車を連結し、「つばめガール」「はとガール」という女性の客室乗務員を添乗させるなど、サービス面での向上が図られ、東海道本線の花形特急列車として時代を彩りました。

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