使いみち超マルチ! イタリア戦闘機MC.200の知られざる奮闘inロシア ただし激烈に寒かった…

第2次大戦の前半、イタリアはソ連と戦うドイツを支援するため、東部戦線に6万人以上の大軍を送り込みました。そのなかには空軍の新型戦闘機MC.200も。1年半に渡りロシアの空で闘った知られざるイタリア戦闘機隊の奮闘をひも解きます。

北の大地に送り込まれたイタリア機

 2021年は第2次世界大戦における「バルバロッサ」、いわゆるドイツ軍のソビエト連邦(ソ連)への奇襲攻撃から80年の節目の年です。

 ドイツがソ連に侵攻を開始したのは1941(昭和16)年6月のこと。これを受け、イタリアの指導者ムッソリーニ統帥はドイツの同盟国としてソ連に対して宣戦布告し、ロシア戦線(東部戦線)への大規模な派兵を決定すると、総員6万2000名から成る「イタリア・ロシア戦線派遣軍」(C.S.I.R.)を編成し、7月にはウクライナ方面へ進軍を開始しました。

 C.S.I.Rは陸海空軍から成っていましたが、そのなかで戦闘機部隊として派遣されたのが、イタリア空軍第359、第362、第369、第371の4個飛行隊で編成された第22独立戦闘航空群でした。この部隊は空冷式のマッキMC.200型戦闘機51機を装備しており、1941(昭和16)年8月にクリミア半島に近いクリヴォイ・ログ基地へ到着しています。

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東部戦線に到着してドラム缶から給油を受けるMC.200型戦闘機「サエッタ」。愛称は、矢や稲妻という意味。空冷エンジンの機首は、味方識別用に黄色く塗られている(吉川和篤所蔵)。

 MC.200型は1939(昭和14)年から生産が始まった新型機でしたが、常に進化し続ける米英機に対し、1941(昭和16)年ともなると最高速度500km/h程度という足の遅さや、12.7mm機関銃2挺のみという火力の弱さが露呈し始めていました。

 それでも格闘戦性能に優れていたため、それを活かせばソ連機相手にはまだ勝ち目があり、8月27日のロシア戦線における初陣では、地上を攻撃するソ連軍の編隊へ向けて9機のMC.200型が戦いを挑み、ソ連のI-16型戦闘機2機とSB-2型爆撃機6機を撃墜する戦果を挙げています。

 ただ、この初陣でI-16型戦闘機2機の撃墜を記録したのは、実は戦闘機隊ではありませんでした。

【写真】草原の飛行場に並ぶ複数のイタリア空軍MC.200

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