新快速はいかにして日本海へ達したか 運行拡大のカギを握った「交直セクション」

交直セクションの移設は、人の流れも変える?

 その後、長浜エリアは京阪神から多くの観光客が訪れる人気スポットとして、発展を遂げます。新快速直通工事の完成と前後して、観光施設「黒壁スクエア」や「長浜鉄道スクエア」などがオープン。特に黒壁スクエアは、年間約200万人が訪れる人気スポットに成長しました。

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敦賀駅に停車中の、播州赤穂行き新快速。ただしこの車両は姫路止まりとなる(伊原 薫撮影)。

 これを受けて、直流区間を敦賀駅まで北上させるとともに、湖西線の永原~近江塩津間も直流電化とし、琵琶湖をぐるっと一周する列車を走らせようという「琵琶湖環状線構想」が活発になります。総事業費は約161億円。このうち新快速用の車両製造費を除く約143億円を滋賀県と福井県、それに沿線市町村が負担することになり、2003(平成15)年から3年間かけて工事が行われました。

 そして2006(平成18)年10月、交直セクションは敦賀駅のすぐ東側に移設され、ついに新快速が敦賀駅への乗り入れを開始します。2021年9月現在、敦賀行きの新快速は、日中は湖西線、朝と夜は北陸本線を経由し、1日13本を運転。京阪神と敦賀エリアを直結しています。

 また、平日に1本、土休日に2本が運転される敦賀発播州赤穂行きは、走行距離が275.5kmを数え、特別料金が不要の在来線列車で最長を誇ります。ただし、列車は敦賀駅を4両編成で出発し、米原駅で前方に8両を増結。姫路駅から播州赤穂駅までは、この8両編成だけが直通するため、同じ車両で全区間を乗り通すことはできません。

 交直セクションの移設によって、米原から長浜、そして敦賀へと運転区間が延長されていった新快速。当初の目標だった「琵琶湖をぐるっと一周する列車」は、今のところ定期列車では実現していませんが、長浜エリアや敦賀エリアは京阪神から身近な観光地となり、にぎわうようになりました。敦賀エリアには、静態保存されているキハ28形気動車や鉄道模型が走るジオラマのある「敦賀赤レンガ倉庫」、旧敦賀港駅舎がある「金ヶ崎緑地」など、鉄道にまつわる観光施設も豊富です。直通の新快速に乗り、交直セクションの歴史を感じながら、これらを訪れてみるのも良いでしょう。

【了】

【写真】「交直セクション」を示すシマシマ標識

Writer: 伊原 薫(鉄道ライター)

鉄道ライター。乗り鉄・撮り鉄のほか、鉄道旅で酒を楽しむ「飲み鉄」や列車を貸し切って遊ぶ「借り鉄」の普及に勤しむ。最近は、鉄道と地域の活性化アドバイザーとしても活動中。好きな発車メロディはJR北千住駅。

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コメント

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6件のコメント

  1. 小浜線が敦賀まで直流電化した2003年から湖西線永原~近江塩津間、北陸本線長浜~虎姫間のデッドセクションが敦賀~南今庄間に移設された2006年まで、敦賀駅は2つの方式(直流・交流)が入り乱れていたのか、いくら小浜線が単独ホームだとは言え……。

  2. 新幹線が敦賀から南下した時がどうなるかやな。
    本文にあった通り、自治体がたんとお布施を出しとるでね。
    大阪の会社がどうするんやろね。

  3. この記事を読むと、かつては米原を出てすぐに交直セクションがあったような記載であるが、実際には、かつて交直セクションが置かれていたのは、米原駅のとなりの坂田駅とその隣の田村駅の間である。つまり、米原ー坂田間は当初より直流区間であり、誤解を与える記載だと思う。誤解を招かないような正確な記載をお願いしたい。

  4. 何故敦賀にだけ「福井の」と付ける?
    敦賀は文化も言語も気候も福井とは全く違って一緒にされたくないという気質で、敦賀人の根本は関西人。
    何故敦賀に新快速を乗り入れたかったかの理由は、NDY風に点数を付けると30点。

    • だからこそじゃないの?
      確かに福井嶺南は関西文化圏なんだし、地理に弱い人が滋賀県と誤認するかもしれない。
      三重の伊賀とか東紀州も元々関西文化圏だけどね。

  5. 新快速は牛窓港・瀬戸内海(岡山県・兵庫県側)から神戸港・大阪港を経由して日本海まで到達したわけですよ。