ルーツは95年前!? 寝台列車歴50年超の「出雲」 電車になって25年 この先どうなるのか

「瀬戸」とはすでに蜜月

 太平洋戦争で普通列車化された後、1947(昭和22)年に準急へ返り咲き、1951(昭和26)年11月25日に再度急行(701・702列車)となり、運行区間も東京~大社間に変更されます。今日の「サンライズ出雲」まで続く、東京と出雲の直通列車の始まりです。

 この急行701・702列車は、運行開始1週間後に「いずも」と名付けられます。併結している東京~宇野間の急行にも同時に「せと」と名付けられ、現在に続く両者の縁を感じさせます。

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寝台特急「瀬戸」。香川県高松市にて(画像:photolibrary)。

 運行開始時点では、東京~大社間は3両(2両という資料もあり)編成で、2等車と3等車を連結。9両編成の「せと」と併結していました。「いずも」は途中の大阪駅で3両増結し、大阪~大社間は6両編成だったようです。

 1954(昭和29)年より編成の一部が浜田行きとなり、東京~大社・浜田間を結ぶ列車となります。東京からの車両が大社に直通し、大阪から増結された車両が浜田に向かったようです。

 その後1956(昭和31)年に急行「せと」との併結を取りやめ単独運行となり、愛称も漢字表記の「出雲」となります。この際、2等寝台車と3等寝台車が2両ずつ連結されるようになりましたが、寝台車の連結は東京~大阪間のみで、座席車だけが大社と浜田に直通していました。それでも、東京~出雲今市(現・出雲市)間で9両編成を組み、直通需要が増加していたことがうかがえます。

 1961(昭和36)年からは福知山線を通らずに山陰本線経由となります。この時に下り列車は、東京~名古屋間で南紀観光団体専用列車と、上り列車は京都~東京間で急行「金星」と併結。あわせて東京直通列車にも1等寝台車(現在のA寝台車に相当)と2等寝台車(現在のB寝台車に相当)が連結されました。

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