「国鉄特急色」ついに消滅 60年間、全国を駆け抜けた赤とクリーム(写真13枚)

塗り替えと新型導入で数を減らす

 その後、東京~大阪間に新型の特急電車を導入して所要時間の短縮を図ることになりました。1958(昭和33)年、国鉄初の特急形電車となる20系電車(のちに151系電車への改称を経て181系電車に)がデビュー。このとき採用された塗装が、赤とクリームの2色でした。列車の愛称は「こだま」と名付けられ、181系は「こだま形」と呼ばれるようになります。

Large 180430 tokkyusyoku 02
初めて国鉄特急色を採用した「こだま形」こと181系(1980年ころ、草町義和撮影)。

 国鉄の副技師長を務めた星晃によると、この塗装は当時営業局長だった磯崎叡(のちの国鉄総裁)を中心とした会合で決められたといいます。赤とクリームは「昼間の座席特急であり初めての高速電車特急として明るく目立たせ、見る人たちに乗ってみたいという気持ちを起こさせる塗色」(『鉄道ジャーナル』1985年3月号)として採用されました。

 これ以降、189系を含む国鉄の特急形電車は1981(昭和56)年に白と緑の185系電車がデビューするまで、すべて赤とクリームの2色塗装に。特急形ディーゼルカーも同じ色が採用され、全国各地でこの色の特急列車が運転されるようになりました。こうして「赤とクリーム」は国鉄特急のイメージとして定着したのです。

 しかし、1987(昭和62)年に国鉄が分割民営化されてJRグループが誕生すると、JR各社は「地域密着経営」をアピールするため、特急形の電車やディーゼルカーを各社独自の色に塗り替えるようになりました。これに加え、JR各社は最初から独自の色を塗った新型車両を導入。国鉄特急色で塗られた車両は、徐々に数を減らしていきました。

 今回、八王子支社の編成が引退したことで、JRの営業路線から国鉄特急色の車両がすべて姿を消したことになります。長野支社に残る最後の189系の編成はJR発足後に塗り替えられた独自色のため、国鉄特急色ではありません。

Large 180430 tokkyusyoku 03 Large 180430 tokkyusyoku 04 Large 180430 tokkyusyoku 05
JR発足後、特急形電車は各社独自の色に塗り替えられた(1995年10月、草町義和撮影)。
国鉄特急色の車両は鉄道博物館や碓氷峠鉄道文化むらなどで保存されている。

 ただ、鉄道博物館(さいたま市大宮区)や碓氷峠鉄道文化むら(群馬県安中市)などで国鉄特急色の車両が保存されており、全国各地を走り回っていた時代の姿を見ることができます。

【了】

この記事の画像をもっと見る(13枚)

テーマ特集「【トリビア】なぜその色? 乗りものの色、どんな意味がある?」へ

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

5件のコメント

  1. 都会で復活色が話題だった頃に、あたしの故郷ではキハ181のJR色と国鉄色が編成に混在されて走ってました。
    故障続きの初代のキハ80?はつかりガッカリに止まらず現代でもガッカリな乗り物は後を絶ちませんが国鉄色で世に出て引退した型式ってどれくらいなんでしょうか?
    因みにキハ65と言う当時のコテコテ国鉄列車がリゾート列車に改造されたのは正直転けました。

  2. そのうちJR九州あたりがJR化後の車両に期間限定で特急色ラッピングして走らせるのかな

    • やりそうですねw
      態度の悪い職員まで再現した懐かしくない国鉄はやってほしくあるませんが。

  3. 157系「あまぎ」が大好きだったので踊り子の185系にはラストラン前の1~2年間くらいをあの塗装で走ってもらいたいな、と思う。

  4. 3年くらい後に、なつかしの国鉄色・・・と銘打って、しれっと復活してそう。