「実は別々の駅でした」東京「統合駅」5選 駅名“くっつけただけ”からウルトラCまで

2つの駅が統合された駅が、特に私鉄では多くあります。駅名や現地の構造に旧駅の名残を留めるケースも。東京では別々の駅をひとつにするため、様々な工夫が凝らされてきました。

様々な事情で誕生した「統合駅」

 実はもともと2つあった駅が1つになった。東京にはそのような駅がいくつかあります。旧駅の痕跡が残っていたり、駅名にその名残を留めていたりする場合もあります。

駒場東大前(京王井の頭線、目黒区)

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駒場東大前駅(乗りものニュース編集部撮影)。

 都内で統合された駅としてまず挙げられるのは、東京大学駒場キャンパスの最寄りである駒場東大前駅ではないでしょうか。もともと「駒場」駅と「東大前」駅があり、駅名をくっつけたわかりやすい例です。両駅は400m離れていましたが、1965(昭和40)年、その中間地点に統合駅が誕生しました。

 さらにさかのぼると、帝都電鉄として井の頭線が開業した当時の両駅は「西駒場駅」と「東駒場駅」でした。このうち東駒場駅が、「一高前」を経て戦後「東大前」に改称、西駒場駅は、東駒場駅が一高前に改称されたあと、「駒場」になりました。旧駒場駅があった場所にはホームの跡が残っており、車窓からもわかります。

一橋学園(西武多摩湖線、小平市)

 学校関連の統合駅としては、西武多摩湖線で国分寺駅からひと駅の一橋学園駅も挙げられます。もともと「一橋大学」駅と「小平学園」駅が400mほど離れてありましたが、1966(昭和41)年に両方の駅名をとって統合されました。

 旧小平学園駅は戦前、西武グループの源流のひとつである箱根土地が構想した「小平学園都市」の中心駅として設置されました。当時構想された明治大学の移転の代わりに、東京商科大学予科の誘致に成功し、そのアクセス駅として作られたのが「商大予科前」駅、のちの一橋大学駅です。

 ちなみにこの多摩湖線、戦前は国分寺~青梅街道の3.4km間に、一橋大学駅、小平学園駅含め5つも途中駅がありました。

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