「61式戦車」スイスにも? 日本と激似の戦車が同時誕生のワケ どちらも“侵攻しない”
強力戦車くれないなら自分で造っちゃえ「61式戦車」
第2次世界大戦末期に登場したM26は、当初「重戦車」に分類されていましたが、のち「中戦車」に再区分され、同じ90mm戦車砲を備えた後継のM46は、戦後第1世代MBTの嚆矢に数えられました。そして朝鮮戦争での戦訓を知る日本も、M26やM46といった大型の高性能戦車に着目していました。
ところが、朝鮮戦争の戦訓のみならず東西冷戦の激化も影響して、アメリカは自軍用の戦車の開発と生産に躍起となっており、日本への戦車の供給は、大きく遅れそうな状況でした。そこで日本は、MBTの国産化へと舵を切ったのです。
開発は1955(昭和30)年からスタート。戦前の戦車にも使用されていて蓄積があった空冷ディーゼル・エンジンを採用し、鉄道や橋梁などのサイズ制限や重量制限もそれなりに考慮しつつ、当時主流だったアメリカ製の90mm戦車砲を、改修のうえ国産化して搭載しました。
なお、当時は陸上自衛隊(1954年発足)が国外に展開することは一切考えられていなかったので、この国産戦車は日本国内のインフラや地形にのみ対応し、日本へ上陸侵攻してきた敵戦車を撃破できればよいという条件に基づいて開発されました。
こうして誕生した戦後初の国産戦車は、1961(昭和36)年に制式採用となり、61式戦車と命名されます。敗戦直後の戦車技術断絶の期間があったにもかかわらず、世界水準に達した戦後第1世代MBTとして見事に成功したのです。その性能は、アメリカをはじめ世界の同世代のMBTと比較しても、勝るとも劣らないものだったといえるでしょう。
使用用途が同じならば、形が似てくるなんて事言いますもんね。