“消えたフェリー会社”の思い出が止まらない…! 引退間近「さんふらわあ しれとこ」深夜便ならではの魅力とは? それは長い長い旅の終わり〈PR〉
商船三井さんふらわあの大洗~苫小牧で深夜便として運航される「さんふらわあ しれとこ」が2025年に引退します。もともと24年前、全く別会社でデビューし、船名も異なっていました。今回はその歴史ある船と深夜便の魅力を振り返っていきます。 ※本記事中、フェリー船社の社名は当時の表記にしています。
苫小牧ポートミュージアムの「しれとこ丸」
2001年の就航以来、24年間にわたって航海を続けてきた歴史に、間もなく幕をおろす船があります。商船三井さんふらわあが運航する「さんふらわあ しれとこ」と「さんふらわあ だいせつ」です。今回の記事では、2025年に引退が迫る「さんふらわあ しれとこ」で“最後の航海”をするとともに、これらの船が歩んできた歴史と深夜便の魅力を振り返っていきます。
苫小牧西港フェリーターミナル(北海道苫小牧市)の3階に、苫小牧ポートミュージアムという入場無料の施設があります。ここでは苫小牧西港を発着するフェリー船社の紹介と、その就航船の変遷を示した年表などを展示しています。
苫小牧と大洗(茨城県大洗町)を結ぶ「商船三井さんふらわあ」のコーナーには、「しれとこ丸」(日本沿海フェリー:1972~1989年)のモデルシップがディスプレーされていました。
日本高速フェリーの「さんふらわあ」が、名古屋~高知~鹿児島航路でデビューを果たしたのは、奇しくも「しれとこ丸」が東京~苫小牧航路に就航した1972年です。
「さんふらわあ」の優雅な船旅は瞬く間に一世を風靡(ふうび)しました。その後も「さんふらわあ」は次々と世に送り出され、1973年には「さんふらわあ5」が東京~那智勝浦(和歌山県那智勝浦町)~高知航路に、1974年秋に「さんふらわあ11」が大阪~鹿児島航路に登場します。
しかし1990年、日本高速フェリーが経営難に陥ると、東京~那智勝浦~高知・大阪~志布志(鹿児島県)~鹿児島の航路権は商船三井系の日本沿海フェリーに移ります。日本高速フェリーは解散し、「さんふらわあ」はすべて商船三井グループの所有に。その翌年、所有船の名はすべて「さんふらわあ+地名」に変更され、現在まで継承されています。
筆者(カナマルトモヨシ)が今回乗船するのは、苫小牧を午前1時30分に出港し、同日19時30分に大洗へ入港というスケジュールで運航する“深夜便”の「さんふらわあ しれとこ」です。日本沿海フェリーの第1船「しれとこ」の名を受け継いだ「さんふらわあ」なのです。
その船も来年2025年をもって引退となり、新造船のLNG(液化天然ガス)燃料フェリー「さんふらわあ かむい」「さんふらわあ ぴりか」へと代替わりします。
今回の乗船では、その歴史ある船と、一般旅客にはあまり馴染みのない“深夜便”の魅力を振り返っていきます。
存分に残る「ニューれいんぼうべる」の面影
筆者がこの船に乗るのは5度目です。ただ、初乗船となった2005年3月から2006年9月までの3度は別の名前でした。
当時の名は「ニューれいんぼうべる」。2005年3月は九越フェリー、その後の2回は東日本フェリーに所属していました。
その航路も、室蘭(北海道室蘭市)~直江津(新潟県上越市)~博多(福岡市)を2泊3日で日本海を横断するものでした。姉妹船は「ニューれいんぼうらぶ」。いずれも2001年に産声を上げた、21世紀初年生まれの船です。
いざ、乗船の時です。22時30分になり、クルマやバイクを載せない徒歩乗船者が船内へと案内されます。「さんふらわあ しれとこ」はニューれいんぼうべる時代にあった虹に代わり、大きな太陽が船腹にペイントされ、ファンネル(煙突)も商船三井のオレンジ塗装です。
しかし、船内はニューれいんぼうべるの面影を存分に残しています。
自動販売機コーナーのホール(旧レインボーホール)、4つのベッドで1室を構成するカジュアルルーム、ガラス張りの喫煙コーナー、前船の「サロン」の表示を残した展望ラウンジなどは、昔を思い出すポイントです。
ゲームコーナーでは就航当時に新製品だったマージャンゲームが今も現役です。
そして、バリアフリーの概念が浸透していない時代に建造されたため、各所に段差が見られます。
Writer: カナマルトモヨシ(航海作家)
1966年生まれ。日本のフェリーだけでなく外国航路や、中国・韓国の国内フェリーにも乗船経験が豊富な航海作家。商船三井のホームページ「カジュアルクルーズさんふらわあ」や雑誌「クルーズ」(海事プレス社)などに連載を持つ。