「大艦巨砲主義」は遺産です! 最も長生きした“最後の戦艦”アイオワ級 転生したらツルツル船体だった!?

第二次大戦中に就役し、「世界最後の戦艦」として戦後も生き延び続けたアメリカ海軍のアイオワ級。その長い歴史の陰には「戦艦」、そして「ビッグガン」に対するアメリカの強いこだわりが垣間見えます。

「大艦巨砲主義」を21世紀まで アイオワ級戦艦

 第二次世界大戦中にアメリカ海軍が完成させたアイオワ級戦艦。これらは戦後、戦艦という艦種が時代遅れになっても長く運用され、「世界最後の戦艦」となりました。日本の大和型戦艦は無用の長物だったと批判されますが、同じく大艦巨砲主義の権化といえるアイオワ級はなぜ生き残れたのか、その歴史をたどってみましょう。

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戦後、ミサイル戦艦に生まれ変わった「アイオワ」。中央部に複数のミサイル・ランチャーがあり、艦尾に見えるのは広い飛行甲板で、さながら伊勢型航空戦艦の現代版(画像:アメリカ海軍)。

 アイオワ級は大和型と同じく日米開戦前に計画され、建造が始まりました。その目的は日米の艦隊決戦において、速力に優れた日本の金剛型巡洋戦艦(昭和の改装で戦艦に変更)からアメリカの空母や巡洋艦を守るためでした。既存の戦艦は足が遅く、空母部隊と同行できなかったのです。そこで速力30ノット(約56km/h)以上の高速戦艦としてアイオワ級が計画されました。

 ところが、戦争が始まると日米とも空母による航空戦が主流になり、艦隊決戦の機会は大幅に減少してしまったのです。

 日本はコストがかかり建造期間が長い戦艦の建造には早い段階で見切りをつけたため、大和型は「大和」「武蔵」の2隻で打ち止めになっています。一方、アイオワ級は1番艦「アイオワ」と2番艦「ニュージャージー」が1943(昭和18)年、3番艦「ミズーリ」と4番艦「ウィスコンシン」は翌44年に次々と就役します。太平洋戦争末期の1944年後半から45年1月にかけて、4隻のアイオワ級戦艦が次々と太平洋戦域に投入されたのです。戦争末期のアメリカ戦艦は、日本が航空特攻を作戦の中心にしたこともあり、空母部隊の防空を主に硫黄島や沖縄、日本本土への艦砲射撃に従事しました。

 終戦を迎えて建造中の5番艦「イリノイ」と6番艦「ケンタッキー」は工事が中止になり、アメリカ海軍は戦艦から小艦艇まで大量の在庫処分に入ります。同時に高速空母部隊を海軍戦力の柱にする計画を進めます。この中で、アイオワ級は空母部隊と行動を共にできる高速戦艦として戦後も生き延びることになりました。

【え…】デカすぎる&強そうすぎる!! アイオワ級vs大和型戦艦を比較(画像)

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