命懸けの大作戦!「米軍初の日本空襲」参加パイロットが語った心情とは 今じゃ見られない“軍人ならでは”の顔も 読み込み中... 拡大画像 日本攻撃のために空母「ホーネット」から離陸するB-25爆撃機(画像:アメリカ空軍博物館)。 拡大画像 リチャード・コール氏の娘であるシンディ氏。英雄として扱われる父は、自宅では違う顔だったと語る(布留川 司撮影)。 拡大画像 式典に参加したアメリカ空軍のデービッド・ゴールドフィン空軍参謀総長(当時)。F-16のパイロットで1999年にはセルビア上空で任務中に撃墜され、戦地から生還した経験もある(布留川 司撮影)。 拡大画像 式典中に隊列を組んで上空を通過する11機のB-25爆撃機(布留川 司撮影)。 拡大画像 オハイオ州デイトンの空軍博物館で2017年に行われた「ドーリットル空襲」の記念式典。乗員の名前が読み上げられると、その遺族たちが静かに立ち上がっていた(布留川 司撮影)。 拡大画像 空母「ホーネット」に搭載されたB-25爆撃機。着艦が不可能なため、機体はサンフランシスコのアラメダ海軍基地でクレーンによって積み込まれた(画像:アメリカ空軍博物館)。 拡大画像 式典のために空軍博物館脇の滑走路に着陸するB-25爆撃機。機体は軍所有ではなく、民間団体が維持しているもの(布留川 司撮影)。 拡大画像 式典最後に高速で会場上空を通過したB-1B「ランサー」爆撃機。その爆音は会場だけでなくデイトンの町全体に轟いた(布留川 司撮影)。 拡大画像 「ドーリットル空襲」75周年の記念行事のために集結した民間所有のB-25爆撃機(布留川 司撮影)。 拡大画像 「ドーリットル空襲」参加隊員で最後の生き残りとなったリチャード・コール氏。1番機の副操縦士として、指揮官のドーリットル中佐と同じ機に搭乗(布留川 司撮影)。 拡大画像 「ドーリットル空襲」の出撃前に撮影された1番機の乗員たち。左から2番目が指揮官のドーリットル中佐で、右から2番目が最後まで生存したリチャード・コール氏(画像:アメリカ空軍博物館)。 この画像の記事を読む