戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで 読み込み中... 拡大画像 アメリカ海軍に残る戦艦「大和」の見取図。竣工時のもののため、艦橋左右に副砲の15.5cm三連装砲塔が描かれている(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 進水後の1941年9月20日、呉海軍工廠で最終艤装中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1941年10月20日、豊後水道入口、宿毛湾沖合で公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1941年10月30日、宿毛湾沖で全力公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1941年10月30日、宿毛湾沖で全力公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1943年5月、トラック環礁にて並んで錨泊中の「大和」と同型艦の「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月1日ブルネイにて、手前から戦艦「長門」、高雄型重巡洋艦、「大和」、「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月24日レイテ沖海戦にて、米機の爆弾が第1砲塔直前に直撃した「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月24日レイテ沖海戦にて戦闘中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月25日、サマール沖を進む「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月26日シブヤン海にて、米陸軍のB-24爆撃機から撮影された「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年3月19日、呉沖の安芸灘で米機の攻撃を受ける「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年4月7日、東シナ海で米機の攻撃を受ける「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年4月7日14時20分ごろ「大和」沈没。直後に弾薬庫が誘爆した(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む