戦艦「山城」の役得 日本海軍悲願の国産超ド級戦艦 扶桑型の2番艦が担った役割とは? 読み込み中... 拡大画像 1922年3月29日に横須賀で実施された、グロースター・スパローホーク戦闘機を使った戦艦「山城」からの発艦実験。3回の実験すべてで成功を収めた。 拡大画像 1930年10月に神戸湾で撮影された「山城」第1次改装後の姿。後方には空母「加賀」が見える(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1930年代に発行されたと思われる「山城」の紹介はがき(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1934年9月館山沖で撮影された「山城」。 拡大画像 撃沈される前日の1944年10月24日スル海でアメリカ艦載機の空襲を受ける「山城」または「扶桑」。上は巡洋艦「最上」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1935年末に東京湾で撮影された、写真手前から戦艦「山城」、戦艦「扶桑」、戦艦「榛名」。「扶桑」と「山城」の艦橋形状の違いがよく分かる(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1917年年7月に横須賀で撮影された竣工直後の「山城」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 無線操縦飛行の実験機となった九四式水上偵察機(写真は同型機)。安定性に優れていたため実験機に選ばれた。機体は赤色に塗装されていたという。 この画像の記事を読む