解決!
あみすさん
2019/02/19 23:28
徳島道が設計された以前は【讃岐山脈沿い】や【吉野川北岸沿い】ルートが考えられていましたが、当時の偉いさんが「県都『徳島市』にインターチェンジを作る!」と、讃岐山脈沿いから徳島市内にルートを持ってきました。
藍住IC付近は住宅地なので反対運動が起き、結局47都道府県最後の高速道路完成になりました(法律上、本四道路は高速道路ではありません。現在も管轄が違います)
鳴門ICから北が先に完成し、次に徳島ICから西が完成したので、本四道路と徳島道が平行線のルートになりました。
その後、徳島道と高松道を繋げるため現在の形状になりました。
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質問者のコメント
そのような紆余曲折があったんですね。
もうちょっとすっきりいかなかったのかなーと、やっぱり思いますね。