2万トン級戦艦を沈めた「豆粒」 イタリア極小魚雷艇の大戦果 海軍の金言に刻まれた勇気 読み込み中... 拡大画像 1918年6月、「M.A.S.15」艇の攻撃で沈んだオーストリア・ハンガリー海軍の弩級戦艦「スツェント・イストファン」。満載排水量約2万1600トン、30.5cm三連装砲塔4基搭載、1915年11月竣工したばかりの新鋭艦であった(画像:ドイツ国立公文書館)。 拡大画像 右舷からの浸水で横転した沈没寸前の弩級戦艦「スツェント・イストファン」を撮影した、イタリア製の絵葉書(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 戦艦「スツェント・イストファン」の右舷に魚雷を命中させた瞬間、全力で離脱を計る「M.A.S.15」艇の勇姿を描いた1930年代に発行された絵葉書(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 アドリア海で任務に就くM.A.S.艇。後に大戦果を挙げた「M.A.S.15」艇とも。この新兵器は、潜水艇の様な彎曲した甲板デザインを持った新発想の高速攻撃艇であった(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 第1次大戦中、M.A.S.艇はS.V.A.N.社以外にもバリエット社やエルコ社等で製造され、大型で40トンクラスの水雷艇に至る多くの改良型が就役した。写真はオルランド社製の「M.A.S.96」艇(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 1916年3月に製造された最初の量産型である「M.A.S.3」艇。同艦は魚雷に代えて47mm砲を装備した砲艦型。一部はこうした艦砲と共に対潜爆雷を搭載して、沿岸部の哨戒任務に就いている(吉川和篤作画)。 この画像の記事を読む