京急空港線が「穴守線」として開業 ふたつめの「参拝用路線」-1902.6.28 読み込み中... かつて京急で走っていたデ51形電車(草町義和撮影)。 かつて京急で走っていたデ51形電車(草町義和撮影)。 明治39年の穴守線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕、一部編集部加工)。 昭和7年の穴守線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕、一部編集部加工)。 昭和41年の空港線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)。 昭和51年の空港線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕、一部編集部加工)。 平成5年の空港線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕、一部編集部加工)。 平成10年の空港線(時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕、一部編集部加工)。 1936年の羽田~鈴木新田周辺。現在は中央の海老取川より東側は羽田空港だが、当時は鈴木新田という農村地帯だった(画像:国土地理院)。 1936年の羽田~鈴木新田周辺。穴守線は川を越えて穴守稲荷(現在の空港敷地内)まで伸びていた(画像:国土地理院)。 1936年の鈴木新田。いまは画面内すべてが羽田空港敷地内。穴守稲荷の参道入口に穴守駅があった(画像:国土地理院)。 1936年の鈴木新田。いまは画面内すべてが羽田空港敷地内。海側に運動公園が整備された(画像:国土地理院)。 1947年の羽田飛行場。かつての穴守稲荷は影も形もなし(画像:国土地理院)。 1947年の羽田飛行場。穴守線の廃線が残る(画像:国土地理院)。 1947年の羽田地区。穴守線が残る(画像:国土地理院)。 1947年の蒲田周辺。空港線の分岐の仕方は今と変わらない(画像:国土地理院)。 1974年の羽田周辺。当時の羽田空港駅は海老取川を渡る手前にあった(画像:国土地理院)。 1974年の羽田周辺。当時の羽田空港駅は海老取川を渡る手前にあった(画像:国土地理院)。 1987年の羽田周辺。当時の羽田空港駅は海老取川を渡る手前にあった(画像:国土地理院)。 1997年の羽田周辺。空港敷地内に延伸し、かつての羽田空港駅までの地上線は廃線に(画像:国土地理院)。 関連記事 「宮ヶ瀬」がさらにライダーの聖地に! 官民プロジェクト始動 (PR)バイク王 新幹線「のぞみ」明日から全車指定席に! 対象期間はいつまで? 「予約なし」で飛び乗ったらどうなるのか 【見逃し配信中!】「自動車DXサミット vol.4」 (PR)アイティメディア/メディア・ヴァーグ 規模デカすぎ「新宿駅」!? “シン東京駅”になるはずだった本当の構想 新幹線も通勤新線も発着も全てここから! 行きは山、帰りは海を通る「ユニーク観光列車」今冬も運行! 行き止まりの駅に乗り入れ この画像の記事を読む