【懐かしの私鉄写真】ぜ~んぶ廃線! 急行も続行車も行き交った岐阜「名鉄600V線区」まだまだ活気があった頃

かつて名古屋鉄道には600Vの線区が多くありました。筆者が訪れた1977年当時も、岐阜市内を中心に複数の線区が存在。懐かしい街並みの中を、小ぶりの車両がせわしく走ります。

この記事の目次

・続行運転もあった朝ラッシュ時の美濃町線

・赤1色化が進む揖斐線へ

・改札前に鳥居がある黒野

【画像枚数】全17点

続行運転もあった朝ラッシュ時の美濃町線

 かつての名古屋鉄道(名鉄)には架線電圧が低い600Vの線区が数多くありましたが、昭和50年代には岐阜地区に集約されています。私(楠居利彦:鉄道ライター)が訪問した1977(昭和52)年2月時点で存在していた600V線区は以下のとおりです。

・岐阜市内線(岐阜駅前~長良北町、徹明町~忠節)

・田神線(競輪場前~田神)

・美濃町線(徹明町~美濃)

・揖斐線(忠節~本揖斐)

・谷汲線(黒野~谷汲)

・瀬戸線(堀川~尾張瀬戸)

 このうち瀬戸線は名古屋市の中心部から発着している独立した線区で、1978(昭和53)年3月に1500Vへ昇圧、同年8月に栄乗り入れが実現しています。岐阜地区の5線区はすべてレールがつながっていて、揖斐線は岐阜市内線(市内線)経由で岐阜駅前まで、美濃町線は田神線経由で各務原線と接続して新岐阜(現・名鉄岐阜)までの直通運転を行っていました。

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美濃町線は徹明町交差点の手前(東側)から発着していた。線路は直進して岐阜駅前から忠節に向かう市内線(忠節支線)と合流するが、交差点を東西方向に渡る営業列車は設定されていなかった。車両は元札幌市電のモ870形で1976(昭和51)年に3編成が導入された(徹明町/1977年2月17日、楠居利彦撮影)
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美濃町線の複線区間は徹明町から2駅目の梅林までだった。道路脇には小さな駅舎があったが切符の販売は行わず、待合所として使用されているようだった(梅林/1977年2月17日、楠居利彦撮影)

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Writer:

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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