実物デカッ! 鹿屋に残る旧海軍「二式大艇」は何がすごかったのか レガシーは海自US-2へ 読み込み中... 拡大画像 鹿屋航空基地資料館で屋外展示される二式大艇一二型を正面から見たところ。船型の胴体下面には「かつおぶし」と呼ばれた波押さえ装置のリブが見える。また20mm機関砲を搭載した一二型と比べて一一型の機首銃座はひと回り小型で、7.7mm機関銃を搭載していた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 後方から見た二式大艇。尾部銃座に設けられていた20mm機関砲1門の突き出し孔は塞がれている。また胴体下面左右には機体を陸上に揚げる際に使用する運搬用の車輪が見えるが、後方の運搬車は取り付けられていない(吉川和篤撮影)。 拡大画像 二式大艇第426号機の胴体内部前方から機首方向を見た写真。銃座の油圧式駆動装置や手前の爆撃手用の丸イス前の照準器は失われている。経年劣化による配線のゴムの流れも見られるが、一番の原因は夏場に高温となる屋外保管によるものである(中村泰三氏提供)。 拡大画像 二式大艇の内部。こちらは胴体中央から見て船尾方向の第一燃料タンク室を撮影したもので、V字形の支柱は主翼の前桁と繋がっており、隔壁の奥に第二、第三燃料タンク室が続いている。まだ多くの配管や電気コードが絡みながら残されている(中村泰三氏提供)。 拡大画像 海上自衛隊の鹿屋航空基地資料館の敷地内で展示される二式飛行艇一二型。側面に回ると前後に絞られた船型の胴体形状が確認できる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 太平洋戦争中、洋上を飛行する二式飛行艇。胴体上部や前後に20mm機関砲各1門を搭載した動力銃座が見える(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 海上自衛隊のUS-2。川西航空機が戦後、社名を変えた新明和工業が開発した大型の救難飛行艇で、二式大艇から受け継いだDNAを今に伝えている(画像:海上自衛隊)。 拡大画像 胴体内部前方の右側を捉えた写真。上から計器・紫外線灯用や酸素吸入器用のスイッチ盤が見え、その下には失われているが高度計と速度計を納めた計器盤の丸い穴が見える(中村泰三氏提供)。 この画像の記事を読む