うめきた新駅とともに梅田から消える“地上の線路” 149年ぶり JR・阪急・阪神はどう変わった? 読み込み中... 梅田周辺の鉄道(画像:国土地理院)。 うめきた新駅の整備で、大阪駅西口とうめきた地下口が設けられる(画像:JR西日本)。 梅田貨物駅の航空写真。1928年と1945年のもの(宮武和多哉撮影)。 1928年(宮武和多哉撮影)。 1945年(宮武和多哉撮影)。 阪急中津駅と地上線が交差する区間。この区間も間もなく地下化される(宮武和多哉撮影)。 地上区間では線路の撤去が続く(宮武和多哉撮影)。 地上区間の沿道にはかつての架線柱跡が残る(宮武和多哉撮影)。 北区中津付近に地下線の入口がある(宮武和多哉撮影)。 北区中津付近に地下線の入口がある(宮武和多哉撮影)。 福島・大淀地区と梅田を結ぶ「梅田地下道」。再開発後は地上移動が可能になる(宮武和多哉撮影)。 うめきた新駅の地上に留置されているおおさか東線の列車(宮武和多哉撮影)。 地上区間を走行する特急「はるか」。うめきた新駅は写真奥の地下にある(宮武和多哉撮影)。 梅田スカイビル前の地上区間を走行する列車、この区間も2月に地下化される(宮武和多哉撮影)。 梅田エリアに唯一残った「西梅田一番踏切」(宮武和多哉撮影)。 西梅田一番踏切に進入する列車(宮武和多哉撮影)。 大阪環状線 福島駅直下の「浄正橋踏切」。地下から地上へ切り替わる部分の付近にあるため、そのまま残される(宮武和多哉撮影)。 大阪環状線 福島駅直下の「浄正橋踏切」。地下から地上へ切り替わる部分の付近にあるため、そのまま残される(宮武和多哉撮影)。 西梅田一番踏切。地下化によって姿を消す(宮武和多哉撮影)。 旧・梅田駅(阪急)東側にある「HEP FIVE」。京阪電鉄の梅田駅は、この周辺に設置される予定だった(宮武和多哉撮影)。 地下化工事が始まる前の梅田貨物駅(宮武和多哉撮影)。 1993年まで、福島区の市街地を阪神本線が走行。写真奥で地下に潜っていた(宮武和多哉撮影)。 この画像の記事を読む