「鉄道を破壊する抗日ゲリラ」にどう対処? 旧日本軍が中国大陸で展開した“治安維持”の方法 読み込み中... 拡大画像 1938年末の華北の治安状況と共産軍の展開。日中戦争が始まると日本軍は瞬く間に占領地を広げたが、その実態は「点(都市)と線(主要鉄道)」を押さえたのみだった(樋口隆晴作図)。 拡大画像 日本軍はゲリラ(遊撃隊)討伐のために未治安地区と治安地区とを遮断壕等で封鎖し、積極的に対ゲリラ戦を行って鉄道を防備した(樋口隆晴作図)。 拡大画像 華北交通警務部隊のパトロール(画像:華北交通アーカイブス)。 拡大画像 日本軍によるゲリラ討伐(画像:華北交通アーカイブス)。 拡大画像 中国軍ゲリラによる列車転覆(画像:華北交通アーカイブス)。 拡大画像 愛路村と愛護地帯の概念図。鉄道沿線の両側5kmを愛路地帯として、その範囲を愛護村の責任で防備した。1942年には北支交通管轄下の愛護村は1万277村が存在した(樋口隆晴作図)。 愛路工作のための宣撫用福利列車のポスターとそれを見る老人(画像:華北交通アーカイブス)。 この画像の記事を読む