「戦艦の砲塔こんなデカいのか…」現存唯一「陸奥」の砲塔内を実見! なぜ破壊されずに残った? 読み込み中... 現在は海上自衛隊の幹部候補生学校として使用される、海軍兵学校の伝統を伝える赤いレンガ造りの学校庁舎(吉川和篤撮影)。 江田島湾を向いて立つ戦艦「陸奥」の旧4番砲塔。手前には同型艦であった「長門」の40cm砲弾も見える(吉川和篤撮影)。 砲塔内に入って砲尾から見た左側主砲(左砲)。左開きの尾栓は失われているが、一緒に写る同行者との比較でその巨大さがわかる(吉川和篤撮影)。 戦後に作成された線画だが、大改装後に搭載された最前部の1番砲塔の形状が良くわかる。また露出した砲塔だけではなく、船体に隠れる円筒形の台座も砲弾や装薬の誘爆対策から分厚い装甲で覆われていた(小高正稔氏提供)。 江田島の旧4番砲塔内部で解説用に掛けられていた右側主砲の当時写真。命令を伝える伝声管(3、4)や予備弾薬筐レバー(6)、揚弾薬筐レバー(7)、装填発動機(8)、水圧駐退機(10)、尾栓開閉シャフト(13)、排気ファン(14)、砲側方位盤(15)、尾栓(18)、安全冊(20)などが見える(吉川和篤撮影)。 これも砲塔内部で解説用に掛けられていた各要員の配置図。砲手から砲塔長まで全部で18名が配置されており、ひとつの砲塔を動かすためにはこれだけの人員が必要であった(吉川和篤撮影)。 広角レンズで撮影した右砲とその周辺。戦後アメリカ軍の爆破処理によるものか、天井には大きな穴が開いて鉄板で塞がれており、逆に152mmもあった天蓋装甲の厚みが確認できる(吉川和篤撮影)。 同じ右砲のアップ写真。左砲と違ってこちらは砲尾のカバーも外れている。砲の右上には水圧駐退機や尾栓開閉シャフトも見える(吉川和篤撮影)。 こちらも広角レンズで撮影した左砲とその周辺。天井には潰れた排気ダクトの一部が、右砲との境には2枚の隔壁があり、その前方に中央旋回手と中央照尺手が配置された(吉川和篤撮影)。 左砲の砲尾の下には砲弾装填用受けやアームの一部が残っており、砲架基部の下は舞台の奈落のように落ち込んでいるのがわかる(吉川和篤所蔵)。 砲塔後部の左右に設けられた予備弾薬筐。各2発の砲弾が置かれており、緊急対応用であったのであろうか(吉川和篤撮影)。 予備弾薬筐の木製ラックには、黒ペンキで書かれた「砲室弾」の文字が残っていた(吉川和篤撮影)。 また砲塔内には銅板にエッチング処理で文字が入った銘板が幾つか見つかり、当時も各機器の操作の一助になっていたと思われる(吉川和篤撮影)。 江田島湾に向かって2本の砲身を突き出した旧4番砲塔。手前は駆逐艦「梨」に搭載され、戦後は護衛艦「わかば」で再使用された92式4連装魚雷発射管(吉川和篤撮影)。 1922(大正11)年に撮影された戦艦「陸奥」。このとき最後部に搭載されていた4番砲塔が、後の大改装時に降ろされて江田島の海軍兵学校に移設された(吉川和篤所蔵)。 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の横で展示される三年式40cm砲。こちらも左開きの尾栓が残っており、砲塔左側に配置された左砲であったことがわかる(吉川和篤撮影)。 関連記事 日本を守る最新レーダー「SPY-7」 その実力をロッキード・マーティンに聞いた (PR)lockheedmartin 砂利・軍需品から競馬ファン・囚人まで! いろいろ運んだ異色の国鉄線、廃止50年だけど一部現役の数奇な歴史 【マジで1万円以下】超大国インドの爆安タイヤを履いたら凄すぎた! (PR)AUTOWAY 中国海軍の「巨大ミサイル艦」沖縄近海に出現! “海自まや型超え”の大きさ 空母「遼寧」と航行する様子を防衛省が公開 中央線の立役者だった「明治の鉄道王」 全国展開した「軽便王国」は建設費10分の1も…10年あまりで見えた限界 この画像の記事を読む