「これ鉄道だ…」 高速道路に取り込まれた“廃線跡”今どうなってる? それは100年前の「埼玉高速鉄道」 読み込み中... 拡大画像 武州鉄道の模式図(国土地理院の地図を加工)。 拡大画像 神根駅があった国道122号石神交差点(画像:国土地理院)。 拡大画像 神根駅があった国道122号石神交差点。1960年代(画像:国土地理院)。 拡大画像 埼玉スタジアム付近(画像:国土地理院)。 拡大画像 埼玉スタジアム付近。1960年代(画像:国土地理院)。 拡大画像 埼玉スタジアム付近。1970年代。東北道から北東へ廃線跡が延びている(画像:国土地理院)。 拡大画像 岩槻区平林寺付近。中央の右下から左下へ延びる道路が廃線跡(画像:国土地理院)。 拡大画像 岩槻区平林寺付近。1960年代。中央の右下から左下へ延びる道路が廃線跡(画像:国土地理院)。 拡大画像 岩槻区平林寺付近。1960年代。中央の右下から左下へ延びる道路が廃線跡(画像:国土地理院)。 拡大画像 蓮田駅付近。武州鉄道は中央下からカーブを描き東口に接続していた(画像:国土地理院)。 拡大画像 蓮田駅付近。1960年代。武州鉄道は中央下からカーブを描き東口に接続していた(画像:国土地理院)。 拡大画像 蓮田駅付近。1970年代。武州鉄道は中央下からカーブを描き東口に接続していた(画像:国土地理院)。 拡大画像 神根駅があった国道122号石神交差点。 拡大画像 神根駅があった国道122号石神交差点。 拡大画像 神根駅があった国道122号石神交差点。 拡大画像 かつての行衛(ぎょえ)駅付近。川口市。 拡大画像 かつての武州大門駅付近。さいたま市。 拡大画像 浦和IC近くの重殿社には武州野田駅の停車場道路開通記念碑が残る。ただし位置はかつての駅とは異なる。 拡大画像 浦和IC近くの重殿社には武州野田駅の停車場道路開通記念碑が残る。ただし位置はかつての駅とは異なる。 拡大画像 浦和IC近くの重殿社には武州野田駅の停車場道路開通記念碑が残る。ただし位置はかつての駅とは異なる。 拡大画像 かつての笹久保駅付近。右の中古車オークション会場が駅だったといわれる。 拡大画像 かつての笹久保駅付近。廃線跡の道路が中古車オークション会場の車両置き場に使われている。 拡大画像 岩槻市街。ここも廃線跡。 拡大画像 岩槻市街。右が太田小学校。 拡大画像 太田小学校が武州鉄道の岩槻駅だった。 拡大画像 太田小学校が武州鉄道の岩槻駅だった。 拡大画像 東武野田線の高架橋。武州鉄道をまたいでいた。 拡大画像 東武野田線の高架橋。武州鉄道をまたいでいた。 拡大画像 岩槻区平林寺付近の廃線跡道路。 拡大画像 岩槻区平林寺付近の廃線跡道路。 拡大画像 蓮田駅東口。 拡大画像 武州鉄道についてはさいたま市もしばしば紹介している(さいたま来ぶらり通信 第15号より)。 拡大画像 川口市内の東北道と国道122号。ここにかつて武州鉄道が通り、行衛(ぎょえ)駅があった(乗りものニュース編集部撮影)。 拡大画像 岩槻市街の東武野田線。この下を武州鉄道が通っていた(乗りものニュース編集部撮影)。 この画像の記事を読む