「これ鉄道だ…」 高速道路に取り込まれた“廃線跡”今どうなってる? それは100年前の「埼玉高速鉄道」
埼玉県内で東北道の側道の途切れた部分が、およそ半世紀ぶりに開通。それ以前の状況を航空写真で見ると、現在の東北道にはもともと「鉄道」が存在したことがわかります。それは100年前の「埼玉高速鉄道」ともいうべき存在でした。
埼玉の東北道、それ以前には「鉄道」があった
埼玉県南部の東北道は、川口JCTから国道122号を側道として北へ延びていきます。2024年9月30日には、さいたま市内で側道が途切れていた部分が開通し、「蓮田岩槻バイパス」として全線開通を迎えます。
埼玉県内の東北道が着工したのは1966年のこと。当時の航空写真を見ると、県南部ものどかな農村だったことが分かりますが、東北道のルートにピタリと合致するように、1本の道らしきものがあったことも分かります。
実はこれは「鉄道」です。ただし、この当時にはすでに廃線となっていました。
これは「武州鉄道」の跡。1924年に蓮田-岩槻間から開通し、徐々に南へ延伸するも、14年後の1938年には全線廃止となった、いわば“幻の鉄道”です。
終点だった「神根駅」は、川口JCTの北側、県道103号線が国道122号に交わる石神交差点にありました。この場所には現在、武南警察署の神根交番が立っています。
そこから北へ、浦和料金所を過ぎ、埼玉スタジアム2〇〇2の北側までが、東北道/国道122号に廃線跡が取り込まれた区間です。1970年代の航空写真を見ると、建設中の東北道/国道122号から北東へ逸れていく廃線跡を確認できます。
さらに廃線跡は、目白大学の敷地内を通り、岩槻の市街地を貫通していました。武州鉄道の「岩槻駅」は東武の駅とは異なり、さいたま市立太田小学校の場所にありました。
その後は進路を北西にとって、現在の東北道と交差し、JR蓮田駅の東口に接続していました。東北道との交差部は、新規開通する側道(国道122号下り線)が接続する「平林寺橋」交差点から800mほど北側です。
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