唯一の現役車が引退間近 その理由は「路線延伸」? 全国どこでも見られた「キハ20系」最期のとき 読み込み中... 拡大画像 キハ202は国鉄→鹿島臨海鉄道→茨城交通と渡ってきた車両で、鹿島臨海鉄道時代に前照灯を前面腰部に移設して顔つきが激変した。那珂湊駅にて許可を得て撮影(1994年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の勇姿。キハ20系は形式が多岐に渡ったものの前面フォルムはほぼ共通で、貫通扉に平面窓、車体裾は絞らず、前照灯は上部に1灯だ。金上~中根間(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 那珂湊機関区から出区する。キハ205は機関庫内のミキ300‐103と共に引退となる予定だ。那珂湊駅(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の車内。クーラー化改造を施した以外はJR西日本在籍時代とほぼ変わらない。車体中央部に排気管の出っ張りがある。那珂湊駅(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の車内。勝田側にはトイレがあったが水島臨海鉄道時代に撤去された。写真の側窓部分にトイレがあり、微妙な空間が空いている(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205勝田側の運転台。左側の収納部はワンマン運転時の料金箱で、茨城交通の時代にワンマン化改造された(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の運転台付近には車両の生い立ちが簡単に紹介されていた。掲示されたのは最近ではないようだ(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ20系は車体中央部にエンジン排気管があり、車内にでっぱりが生じる。そのため中央部のボックス席背後は幅広に処理されている(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の扇風機。国鉄の「JNR」マークが残されている。扇風機は一部が稼働した(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 1基の扇風機にはJR西日本の刻印があった。扇風機からもこの車両のたどった人生が垣間見られる(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 水島臨海鉄道時代にクーラーが取り付けられた。このクーラーはバス用のものを使用し、合計4基備わった。効き具合は「まぁまぁ」とのこと(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ20系はプレスドアを採用し、キハ205も同種のドアである。裾部は明かり窓となっている(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 阿字ヶ浦側の運転台上部右側には、国鉄時代の表記である「キハ20‐522」のナンバー刻印が、ペンキからうっすらと浮き出ていた(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205の機関部をライトアップしてDMH17C形エンジンを照らす。カラカラカラと独特なアイドル音を奏でるエンジンも希少となった。有志の夜間撮影会にて許可を得て撮影(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 夜の帳が降りた那珂湊駅と那珂湊機関区で、運転から戻りアイドリング中のキハ205。この光景もやがて貴重となる(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 茨城交通には旧型気動車も最後の活躍をしていた。キハ111~113は国鉄キハ11形で、車体は一回り小さく、側窓は「バス窓」タイプ。台車もDT19とキハ20系とは異なった。那珂湊駅にて許可を得て撮影(1994年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 茨城交通オリジナルのケハ600形は日本初のステンレス気動車。1992年に廃車となった。現在は車体のみ残存する。那珂湊駅にて許可を得て撮影(1994年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 キハ205は若干色褪せているものの国鉄気動車標準色だ。このカラーは日本の情景に染み込む。写真の後ろ側部分はトイレを撤去している。中根~高田の鉄橋間(2024年9月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 茨城交通の時代はキハ20系が主流であった。キハ222は羽幌炭礦鉄道が廃止になって譲渡され、ワイパーは耐雪用の旋回窓が特徴。現在は阿字ヶ浦駅の鉄道神社御神体となった。勝田駅にて(1994年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 揃って引退する予定のキハ205とミキ300が、那珂湊機関区の機関庫で休む。有志の夜間撮影会にて許可を得て撮影(2024年9月、吉永陽一撮影)。 この画像の記事を読む