広島の路面電車を貸し切ったら「とんでもなく貴重な車両」だった! 電停すべて通過の快感! 料金は“飲み代より安い!?” 読み込み中... 拡大画像 多くの人の視線を浴びながら、651号がいよいよ広島駅電停を出発(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 車内に掲示されている650形の説明(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 広電の広島駅電停にやってきた650形651号。「被爆電車」としても知られ、製造後83年を経ても今なお現役(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 貸し切り運転にそなえて待機する651号。冷房化などが行われているものの、1942(昭和17)年登場時の姿をよく残している(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 車内はニス塗り。緑色の座席とともにレトロな雰囲気を作る(遠藤イヅル撮影)。 拡大画像 年季が入った651号の大型のマスターコントローラー(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 650形の車内は木製だが、ドア付近に最新のカードリーダーが設置されているのも面白い。寿命が長い路面電車ならではの進化だ(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 目の前にいるのは、未来からやってきたような外観の新型連接車。年季が入った651号の木製の窓枠との対比が面白いが、広電ではごくあたりまえの「日常風景」だ(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 貸切運転のゴールは広電本社前電停(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 建設中の駅前大橋ルート、稲荷町電停付近のようすを車内から見る(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 貸切電車は、広島随一の繁華街の紙屋町交差点を左へ。直進すると紙屋町西電停に至る(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 広電本社に設置されたプレートには、あの日実際に起きた過酷な歴史と、たった3日後に運転を再開した広電の偉業が刻まれている(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 貸切運転を終えて車庫に帰った651号の脇には、同じく被爆電車の650形652号の姿が(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 他にも広電には貴重な車両が。元・大阪市電の1601形・1651形・1801形は、広電では一括して750形を名乗る。762号は、20両以上が活躍した同形最後の一両。僚車766号は「西部警察」で爆破されている(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 800形は近代的な外観を持つ自社発注車で、1983(昭和58)年から1997(平成9)年までにアルナ工機で14両が作られた。この805号は前照灯・尾灯が角形に、窓のサッシが黒に変更されている(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 「グリーンムーバーLEX」こと1000形は3車体・2連接台車の超低床車で2013年デビュー。ワンマン仕様で、市内線のみで使用される。写真は「広電バス」カラーで走る1001(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 1957年製の元・京都市電である1900形1908号車。1978(昭和53)年から2年間かけて15両が広電に譲渡。京都にちなんだ愛称が各車に付く。大型車体で使い勝手が良いことから愛用されたものの、近年は廃車が進む(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 5000形「グリーンムーバー」。1999年から2002年にかけてドイツのシーメンスで製造された5車体3台車の大きな連接車で、車内は台車の出っ張りなどがない完全なフラット仕様。海外製ということもあって整備が難しく、現在は5006・5008・5012が宮島線直通をメインに活躍(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 5100形は2005年に登場。5000形の欠点を補って開発された国産車だ。愛称は「グリーンムーバーMAX」(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 2019年には、5100形をさらに改良した5200形「グリーンムーバーAPEX(エイペックス)」が誕生。5000形・5100形と同じく全長30mに達する大型連接車で、2025年5月現在11編成が投入されている(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 貸切した651号車。戦後の更新で、ワンマン化・方向幕の大型化が実施されている。「0」は回送・貸切・試運転表示のほか、路線の途中で終点となる運行や最終便でも表示される(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 雨の中、本社脇の千田車庫で休む路面電車たち(遠藤イヅル撮影) この画像の記事を読む