世紀の失敗作だ!「卑猥なクルマ」「レモンをかじった顔」とまで 自動車大手が “やっちまった” 案件とは 読み込み中... 拡大画像 念入りなマーケティングと多額の宣伝広告費を費やしたにも関わらず商業的に大失敗したエドセルブランド。写真はエドセルの最上級モデルで上級部門のマーキュリー車のプラットフォームを流用して作られた「サイテーション」4ドアハードトップ。エドセルシリーズのボディバリエーションは豊富で、2/4ドアハードトップ、4ドアセダン、コンバーチブル、それに別の車名が与えられたステーションワゴンが各モデルに設定された(画像:フォード)。 拡大画像 フォード車の副社長としてエドセルブランドの立ち上げを推進したロバート・マクナマラ。彼自身はクルマにまったく興味がなく「成長産業の自動車業界で、万年2位に甘んじているフォードなら自分たちを高待遇で雇うだろう」という動機に過ぎなかった。フォード退社後はケネディ政権の国防長官に就任。泥沼のベトナム戦争にズブズブとはまり込んでいく(画像:パブリック・ドメイン)。 拡大画像 フォードのウィローラン工場でライセンス生産されたB-24「リベレーター」。同機の増産にエドセル・フォードは尽力した(画像:フォード)。 拡大画像 1958年型エドセル「コルセア」。1958年型は最上級モデルの「サイテーション」と共通の車体を持つが、トリムレベルや装備は若干落として2番目に高級なモデルとして販売された(画像:フォード)。 拡大画像 1958年型エドセル「ペーサー」コンバーチブル。「ペーサー」はフォード車のプラットフォームを流用し、トリムレベルや装備を充実させた中間グレードとして販売された(画像:フォード)。 拡大画像 1958年型エドセル「レンジャー」2ドアハードトップ。「ペーサー」と共通の車体ながらトリムレベルや装備を落としたエントリーモデル(画像:フォード)。 拡大画像 1958年型エドセル「バミューダ」。エドセルシリーズの高級モデルで、プラットフォームはフォード車を流用してはいるものの、トリムレベルや装備を充実させた。下位モデルに設計が共通の「ヴィレジャー」と「ラウンドアップ」があった。しかし、販売不振によりエドセルのステーションワゴンは、わずか1年で「ヴィレジャー」を除いて廃止された(画像:フォード)。 拡大画像 1959年型エドセル「コルセア」4ドアセダン。1958年型のエドエルイリーズが販売不振に終わったことから、1959年型ではフェイスリフトを敢行。併せてラインナップを整理し、セダン&ハードトップ系は「サイテーション」と「ペーサー」を廃止し、ステーションワゴンは「ヴィレジャー」を除いてカタログから落とした(画像:フォード)。 拡大画像 廃止が決まったエドセル部門は、1960年型ではラインナップを大幅に縮小し、エントリーモデルの「レンジャー」を残してモデル廃止となった。写真は3度目のフェイスリフトを行った1960年型エドセル「レンジャー」4ドアセダン(画像:フォード)。 拡大画像 1960年型エドセル「コルセア」のプロトタイプ。モデル廃止に伴い、日の目を見なかったモデルだ(画像:フォード)。 拡大画像 1960年に「小さな高級車」としてデビューしたマーキュリー「コメット」は、もともとエドセル部門向けの新型車として開発が進められていたが、ブランド廃止に伴いマーキュリー部門で販売されることになった。写真は1963年型マーキュリー「コメット」2ドアハードトップ(山崎 龍撮影)。 拡大画像 1958年型オールズモビル「88」2ドアハードトップ。フロントマスクに似ていたことから、酸っぱさに口をすぼめた表情になったという意味を込めて「レモンを齧ったオールズモビル」とエドセルは揶揄されるようになる(画像:フォード)。 エドセルの最上級モデルで上級部門のマーキュリー車のプラットフォームを流用して作られた「サイテーション」4ドアハードトップ(画像:フォード)。 拡大画像 フォード創業者ヘンリーの息子エドセル・フォード。経営権を手放そうとしない父親との確執から心労が祟り、1943年に胃癌で死去している(画像:パブリック・ドメイン)。 拡大画像 アメリカ空軍のF-111「アードバーグ」。マクナマラの音頭で米空軍の戦闘爆撃機と海軍の艦上戦闘機の両方を兼ねる新型機として開発された。結局、海軍は採用せず、商業的に失敗したフォード車になぞらえて「フライング・エドセル」というニックネームが付けられている(画像:アメリカ空軍)。 この画像の記事を読む