戦争終わったはずじゃ!? ソ連潜水艦による一週間後の惨劇「三船殉難事件」1700人余が犠牲 でも日露両政府は認めず 何故?【後編】 読み込み中... 拡大画像 1945年8月22日に相次いで攻撃を受けた「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」の航跡(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」各船の行動記録(画像:留萌市)。 拡大画像 海底電纜(でんらん)敷設船「小笠原丸」(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 特設砲艦兼敷設艦「第二号新興丸」(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 留萌市の海のふるさと館横公園に建てられている「樺太引揚三船殉難(からふとひきあげさんせんじゅんなん)平和の碑」(柘植優介撮影)。 拡大画像 小平町鬼鹿の重要文化財旧花田家番屋の前浜に建てられている三船殉難慰霊之碑(画像:写真AC)。 拡大画像 小平町鬼鹿の重要文化財旧花田家番屋の前浜に建てられている三船遭難に関する平和への祈りの碑(画像:PIXTA)。 拡大画像 増毛町の町営墓地の中にある小笠原丸遭難の碑。 拡大画像 ソ連の北海道占領作戦の概要図。ソ連は留萌と釧路を結んだ線の以北を占領し、北海道をアメリカと分割統治しようと計画していた(画像:留萌市教育委員会)。。 拡大画像 第二次世界大戦中にソ連海軍が運用していたL型潜水艦の4番艦「L-4」(画像:パブリックドメイン)。 拡大画像 「泰東丸」と同型の戦時標準貨物船(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 留萌沖で攻撃を受けた三船遭難の犠牲者の概要(画像:留萌市教育委員会)。 この画像の記事を読む