なぜ「行徳」を目指した!? 徳川家康が真っ先に切り開いた“軍事ルート”とは 鉄道に駆逐された「川の街道」 読み込み中... 拡大画像 行徳の塩を効率良く和船で運搬するため、家康が真っ先に開削した小名木川。日本橋方面まで一直線だ(深川孝行撮影) 拡大画像 江戸川区南部で江戸川・荒川・中川をほぼ直線で東西に結ぶ運河の新川(深川孝行撮影) 拡大画像 江戸から明治までの200年余にわたり行徳舟が行き交った江戸川(深川孝行撮影) 拡大画像 行徳舟の船着き場・行徳新河岸は成田詣での行楽客で賑わい、この地の「笹屋のうどん」も旅行客の人気を博した。現在も旧笹屋の立派な店舗家屋が残されている(深川孝行撮影) 拡大画像 行徳舟の航路(国土地理院「地理院地図」に編集部が加筆) 拡大画像 本行徳にある常夜灯。江戸時代に建造され行徳新河岸の目印(灯台)とともに行徳舟の安全を願った(深川孝行撮影) 関連記事 日本を守る最新レーダー「SPY-7」 その実力をロッキード・マーティンに聞いた (PR)lockheedmartin 砂利・軍需品から競馬ファン・囚人まで! いろいろ運んだ異色の国鉄線、廃止50年だけど一部現役の数奇な歴史 【マジで1万円以下】超大国インドの爆安タイヤを履いたら凄すぎた! (PR)AUTOWAY 中央線の立役者だった「明治の鉄道王」 全国展開した「軽便王国」は建設費10分の1も…10年あまりで見えた限界 鳥居をくぐったら“キリスト教の教会”だった――かつての「日本」台湾に残る神社がゆる~くカオスな件 驚愕のリメイク版も!? この画像の記事を読む