「銀座唯一の踏切」が物語る築地の歴史 特急貨物列車が行き交った東京市場線 読み込み中... 東京高速道路を隔てた隣には汐留シオサイトの高層ビル群が建ち並ぶ(2018年5月、栗原 景撮影)。 ベルサール汐留の前にぽつんとたたずむ浜離宮前踏切。説明には「踏切信号機」とあるが、「踏切警報機」が正しい(2018年5月、栗原 景撮影)。 案内板も設置から30年以上が経過し、すっかり色あせてしまった(2018年5月、栗原 景撮影)。 高速道路が通る海岸通りは、昭和30年代初頭まで汐留川だったところで、東京市場線も鉄橋で渡っていた(2018年5月、栗原 景撮影)。 1948年に米軍が撮影した汐留と築地市場。線路は汐留川と築地川を鉄橋で渡っていた(国土地理院の空中写真を筆者が一部加工) 東京市場線があったころの築地市場の仕組み。貨車から降ろされた鮮魚や青果は仲卸業者売場で競りにかけられ、青い線を通ってトラックで出荷された(築地市場の案内板を筆者が加工)。 首都高速C1都心環状線を渡る旧線路跡の新尾張橋。江戸時代にはここに尾張徳川家の築地下屋敷があったという(2018年5月、栗原 景撮影)。 東京市場線の線路が通っていた築地市場青果門付近。東京都事務所の右に見える屋根の下を線路が通っていた(2018年5月、栗原 景撮影)。 近年、外国人が激増した築地場外市場(2018年5月、栗原 景撮影)。 この画像の記事を読む