いわゆるラスボスっぽい「日本海軍連合艦隊旗艦」 その最後が軽巡「大淀」だったワケ 読み込み中... 拡大画像 1944年5月3日に連合艦隊司令長官 豊田副武大将(写真左)を迎えた際に前甲板で撮影。三年式15.5cm3連装砲の様子が分かる。 拡大画像 1948年4月27日撮影された、播磨造船所呉船渠(旧呉海軍工廠)の第4船渠で解体中の「大淀」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 アメリカ海軍が作成した「大淀」の艦形識別表(画像:アメリカ海軍)。 1944年春撮影とされる「大淀」。一番砲塔は右舷を指向している。 1943年6月に呉港で撮影されたと推定される「大淀」。 拡大画像 1944年10月25日エンガノ沖海戦で損傷した空母「瑞鶴」の甲板から司令官旗を移乗させるために接近した「大淀」を撮影した。(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年7月28日空母「シャングリラ」艦載機が撮影した、呉港で攻撃を受ける「大淀」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年10月9日呉湾で撮影された横転している「大淀」(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む