150トンで「引き金」に? 太平洋戦争前夜 小型すぎる米武装ヨットの危険な任務とは 読み込み中... 拡大画像 1941年11月27日に中国の漢口を出港してからの、「ラニカイ」の航路図。12月にフィリピンのマニラに到着、12月7日にカムラン湾に向かったが引き返し(マニラに引き返す!と書かれている)、その後オーストラリアへ脱出した(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 建造されて間もなく1918年初めにハワイ・真珠湾で撮影された、当時「エルメス」という名称だった「ラニカイ」。中々優美なヨットだった(画像:アメリカ海軍)。 「ラニカイ」の艇長を務めたケンプ・トーリー中尉。1959年に少将に昇進して退役、100以上の論文と3冊の本を著した(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 後部マスト付近に搭載された3ポンド(47mm)砲。メモ書きから1941年12月にマニラ湾で撮影されたものと見られる(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 USS「イサベル」。12月6日早朝に日本海軍の零式水上偵察機に発見されるが見逃がされる(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1942年初めにオーストラリアのポート・ボウで撮影されたラニカイ。大きな2本マストが目立つ(画像:オーストラリア戦争記念館)。 この画像の記事を読む