国鉄型電車「201系」今や絶滅危惧種 「省エネ電車」進化の記憶をたどる 読み込み中... 拡大画像 三鷹電車区(現・三鷹車両センター)の洗浄線に停車する201系試作車(1982年、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 三鷹電車区で115系や301系とともに並ぶ201系量産車(1982年、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 富士急行線と直通運転を開始した初日の河口湖発東京行の快速電車(前4両)。行先表示器に「快速」と表示されているのに注意(1990年3月10日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 三鷹電車区で301系と並ぶ中央・総武緩行線用の201系(1989年9月、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 大晦日から元日にかけての終夜臨で東京行きに使用された中央・総武緩行線用の201系。折り返しは中野行きとして運転(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 大晦日から元日にかけての終夜臨中央快速線用の201系が各駅停車千葉行きに充当。行先表示器に「千葉」の幕がないため紙製の行先表示を車掌側に掲出した。千葉からの折り返しは各駅停車武蔵小金井行き(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 武蔵小金井電車区(現・豊田車両センター武蔵小金井派出所)の201系6両を使用して川崎発四方津行きの「相模湖ピクニカル号」(1989年7月30日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 京葉線を行く武蔵野線から乗り入れの新木場行きの201系(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 三鷹電車区の201系を使用した団体臨時列車が青梅線河辺駅に入線。奥多摩行きの「ホリデー快速おくたま号」と並ぶ(1990年11月4日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 池袋駅で埼京線205系と並ぶ三鷹電車区201系の団体臨時列車。山手線ホームには103系の「TECH TRAIN」が停車する(1990年11月4日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 三鷹電車区201系の団体臨時列車池袋から田端操車場(現・田端信号場)へと回送。折り返し回送で三鷹へと戻る(1990年11月4日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 大阪駅に停車する201系「軽装車」。車体側面の形式・車号が白で塗装されている(1989年8月、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 京葉線で営業運転を開始した201系の初日の姿(2000年8月27日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 大宮総合車両センターに入場した201系試作車のクモハ200-901。試作車は編成内に組成されるようになったため、先頭車が顔を出した珍しいシーン。車号部分は中央・総武緩行線時代の黄色い塗装も見える(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 海浜幕張駅でE331系と並ぶ201系(2009年3月7日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 諏訪湖花火大会の臨時電車として中央本線信濃境~富士見間を行く201系(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 さよなら運転を行う青梅線103系と出会う201系の展望型電車「四季彩」。(2002年4月13日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 豊田電車区(現・豊田車両センター)で武蔵野線用205系、209系950番台(現・E231系900番台)、103系と並ぶ201系(1999年9月25日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 209系950番台を使用した鉄道友の会の団臨が武蔵境駅の中線に停車するなか、下りの201系快速高尾行きが到着する(1999年1月31日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 八高線(八王子~高麗川間)電化開業初日、前面に電化開業記念マークを取り付けて八高線を行く201系の中央特快東京行き(1996年3月16日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 2005年に外装を変更した展望型電車「四季彩」。同編成は2009年7月まで使用された(2005年6月25日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 体質改善工事を施して東海道・山陽緩行線から大阪環状線に転じた201系。行先表示器がLED化される前の姿(2008年1月26日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 大阪環状線に転じた201系の一部編成は「スカイブルー」のままで使用された(2008年1月26日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 東海道・山陽緩行線から関西本線(大和路線)に転じた201系。おおさか東線部分開業前で行先表示器は字幕式のころ(2008年1月26日、伊藤真悟撮影)。 拡大画像 おおさか東線の新大阪駅に停車する吹田総合車両所奈良支所の201系(2021年、乗りものニュース編集部撮影)。 拡大画像 前面手すりを大型化した201系量産車が青梅線を行く(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 中央・総武線緩行線の201系と差し込み式の種別板を掲出した中央快速線の201系「特別快速」が併走する。(伊藤真悟撮影)。 拡大画像 東海道・山陽緩行線で使われていたころの201系(1990年、伊藤真悟撮影)。 この画像の記事を読む