戦艦「大和」が進水した日 "世界最強"の歴史は「ひっそり」スタート -1940.8.8 読み込み中... 旧日本海軍の戦艦「大和」(画像:アメリカ海軍)。 大和型戦艦の2番艦「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 進水後の1941(昭和16)年9月20日、呉で艤装中の「大和」。艦後方から撮影しているため、写真の砲塔は後部の3番砲塔(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 2020年現在、ジャパンマリンユナイテッド(JMU)呉工場として使われている旧呉海軍工廠。ここで戦艦「大和」は建造された(柘植優介撮影)。 拡大画像 1944年10月24日、レイテ沖海戦でアメリカ軍機に撮影された戦艦「大和」。艦首の第1主砲塔の至近に爆弾が命中し白煙を上げている(画像:アメリカ海軍)。 広島県の江田島にある海上自衛隊第1術科学校の敷地内に保存展示されている大和型戦艦の46cm主砲弾(柘植優介撮影)。 ワシントンD.C.にある国立米海軍博物館に屋外展示されている560mm装甲板。大和型戦艦の主砲防盾に用いられた装甲板とほぼ同じもので、アメリカは戦後16インチ砲で射撃試験を行っている(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 「大和」が進水した呉軍港の当時の様子(画像:広島県)。 戦艦大和の沈没地点付近に設置された慰霊碑(画像:枕崎市)。 アメリカ海軍に残る戦艦「大和」の見取図。竣工時のもののため、艦橋左右に副砲の15.5cm三連装砲塔が描かれている(画像:アメリカ海軍)。 1941年10月20日、豊後水道入口、宿毛湾沖合で公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1941年10月30日、宿毛湾沖で全力公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1941年10月30日、宿毛湾沖で全力公試中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1943年5月、トラック環礁にて並んで錨泊中の「大和」と同型艦の「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月1日ブルネイにて、手前から戦艦「長門」、高雄型重巡洋艦、「大和」、「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月24日レイテ沖海戦にて戦闘中の「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月25日、サマール沖を進む「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月26日シブヤン海にて、米陸軍のB-24爆撃機から撮影された「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1945年3月19日、呉沖の安芸灘で米機の攻撃を受ける「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1945年4月7日、東シナ海で米機の攻撃を受ける「大和」(画像:アメリカ海軍)。 1945年4月7日14時20分ごろ「大和」沈没。直後に弾薬庫が誘爆した(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む