日本初の鉄道建設に関わった“しょこたん”のご先祖 「高輪築堤」だけじゃない その名残を追う 読み込み中... 出土した高輪築堤(画像:港区)。 高輪築堤の出土範囲(画像:港区)。 田町付近の築堤をいく列車。明治40年頃という(画像:港区)。 築堤の出っ張りは信号機の跡とされる(画像:港区)。 築堤の出っ張りは信号機の跡とされる(画像:港区)。 品川台場。平野弥十郎は工事のみならず石材・土砂の手配なども行った(宮武和多哉撮影)。 品川台場。平野弥十郎は工事のみならず石材・土砂の手配なども行った(宮武和多哉撮影)。 JR関内駅の東側にある「馬車道」。平野弥十郎は明治元年8月に野毛山の土砂を切り崩し、馬車が通れるように整備した(宮武和多哉撮影)。 神奈川台場から転用された東高島貨物駅は、既に大半が整地されている(宮武和多哉撮影)。 旧薩摩藩高輪藩邸跡(現在のNEC)。高輪築堤を築くための石はここからも運び出されたという(宮武和多哉撮影)。 旧薩摩藩高輪藩邸跡(現在のNEC)。高輪築堤を築くための石はここからも運び出されたという(宮武和多哉撮影)。 JR田町駅北側にある「御穂鹿嶋神社」。かつては築堤を望む海岸線にあったという(宮武和多哉撮影)。 JR田町駅北側にある雑魚場橋。高輪築堤は船を通すための切れ目が数か所設けられ、橋の下の歩道も築堤を抜ける水路であったという(宮武和多哉撮影)。 北海道石狩市花畔(ばんなぐろ)。明治12年に茨戸~石狩間の道路整備が行われた際に、花畔に出張所が置かれたという(宮武和多哉撮影)。 出土した高輪築堤(画像:港区)。 東高島貨物駅の敷地外縁には、神奈川台場の石垣が残る(宮武和多哉撮影)。 再開発が進む高輪ゲートウェイ駅東口。この周辺も海だった(宮武和多哉撮影)。 石狩港の周辺には今でも石積みの倉庫跡が多く残る。平野は明治14年にこの周辺の道路整備を行った(宮武和多哉撮影)。 関連記事 日本を守る最新レーダー「SPY-7」 その実力をロッキード・マーティンに聞いた (PR)lockheedmartin 「寝台電車」583系カラーになった特急車両が登場 JR東日本が実車の画像を公開! 着々と“衣装替え”進む 【マジで1万円以下】超大国インドの爆安タイヤを履いたら凄すぎた! (PR)AUTOWAY 「群馬の大環状線」整備加速! 鉄道密集地帯をぐるり回避する約28km 西毛広域幹線道路 全通にめど ついに“Xデー”が…! 元「日本最速の新幹線」500系、引退までの全スケジュールが判明 戦闘機っぽいルックスが特徴 この画像の記事を読む