九州の田園に存在した「東洋一の飛行場」とは 戦前に国際旅客便も 面影がほぼなくなってしまったワケ 読み込み中... 拡大画像 甘木線の駅舎を改造して2008年まで私設の大刀洗平和記念館として使われていた建物。屋根の上には実物のT-33「シューティングスター」ジェット練習機が設置され、現在は内部には昭和の生活用品などが展示されておる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じく立大刀洗平和記念館に展示される九七式戦闘機乙型。以前は駅舎を改造した私設の大刀洗平和記念館に展示されていた。機体はあえて塗装されずに博多湾での発見当時の雰囲気を伝えている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 左は大刀洗陸軍飛行場に勤務した将兵の慰霊碑で、元々は同地に駐屯した飛行第四連(戦)隊の本部庁舎前に設置されていた時計塔であった。その右側には西日本航空発祥の地を記念した石碑が設置されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 強固なコンクリート製のために戦後も農地脇に残されて、倉庫などに利用された大型の掩体壕(えんたいごう)。高さ7m30cm、幅44mもあり、おそらく二式複座戦闘機「屠龍」などを格納したと思われる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 こちらもコンクリート製で、実弾による機銃掃射演習などの観測用に使用された監的壕(かんてきごう)。そのユニークな形状から地元では「タコ坊主」とも呼ばれている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 大刀洗平和記念館の周辺に残る、陸軍久留米憲兵隊の大刀洗分遣隊舎のレンガ塀。敷地内には隊長官舎や厩舎跡が残っている。戦前・戦中当時は10名ほどの憲兵が駐在して、飛行場や周辺の治安維持を担当した(吉川和篤撮影)。 拡大画像 1939年に航空技術兵の教育用に創設された第五航空教育隊の正門。奥には実物の九七式戦闘機と共に搭乗員の遺品などが展示される現在の大刀洗平和記念館が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 大刀洗平和記念館で2022年から展示が始まった先尾翼の日本海軍局地戦闘機「震電」の原寸模型と、同じく日本海軍航空隊所属の零式艦上戦闘機三二型の実機(吉川和篤撮影)。 拡大画像 日本航空輸送(当時)が使用した米フォッカー・スーパーユニバーサル旅客機が描かれた当時の絵葉書。同機は中島飛行機(現SUBARU)でライセンス生産され、旧日本陸軍も九五式二型練習機として20機導入している(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 飛行中の九七式戦闘機乙型。低翼単葉の近代的な設計であったが固定脚式で、この後の一式戦闘機「隼」から引込み脚式となった(吉川和篤所蔵)。 この画像の記事を読む