旧駅名がストレートすぎ!? JR南武線の最閑散駅「津田山」 宅地に隠れた“ザ・工業廃線”の記憶 読み込み中... 1956年撮影。矢印が引き込み線(土取り線)で、それぞれ現在の緑ヶ丘霊園、あすか製薬の敷地内へ延びていた(国土地理院の航空写真を加工)。 JR南武線の津田山駅。右は市立小学校で、日本ヒュームの工場跡地に建てられた(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 JR南武線の津田山駅。右は市立小学校で、日本ヒュームの工場跡地に建てられた(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 久地駅方向を見る。左は日本ヒュームの工場跡地で、現在はスーパーマーケットになっている。線路の左側にスペースがあるが、ここに引き込み線があった(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 すでに閉業しているが、「スノーヴァ溝の口R-246」という屋内人工雪スノーボード場の建屋。ここも日本ヒュームの工場跡地(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 津田山(七面山)への入口(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 津田山公園(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 頌徳碑(左)と津田山碑(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 津田山第二踏切から津田山駅方向を見る。カーブ始点辺りから、現在の緑ヶ丘霊園へ向け土取り線が延びていた(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 「川崎市子ども夢パーク」内。土取り線はこの辺りを、写真手前から奥へと延びていたと思われる(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 土取り線は写真左から右へと延びていた。道路は古くからあったようで、ここは踏切だったのだろうか(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 道路との交差点からかつての土取り場を見る(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 土取り場だった緑ヶ丘霊園(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 緑ヶ丘霊園から振り返り、津田山駅方向へ土取り線が延びていた跡を見る(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 津田山第二踏切(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 踏切用地が不自然に広い。かつて、ここにも土取り線が延びていた(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 踏切から久地駅方向を見る。草に覆われ見づらいが、住居がかつての土取り線に沿うように後退している(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 JR南武線の津田山駅(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 津田山駅に隣接する日本ヒューム管(現・日本ヒューム)の工場。製品はここから貨物列車で輸送された(写真提供:日本ヒューム)。 土取り線はこの住宅のあいだを通っていたとみられる。空間はかつての線路に沿ってカーブしている。写真を一部加工(2023年5月、大藤碩哉撮影)。 関連記事 日本を守る最新レーダー「SPY-7」 その実力をロッキード・マーティンに聞いた (PR)lockheedmartin 砂利・軍需品から競馬ファン・囚人まで! いろいろ運んだ異色の国鉄線、廃止50年だけど一部現役の数奇な歴史 【マジで1万円以下】超大国インドの爆安タイヤを履いたら凄すぎた! (PR)AUTOWAY 「寝台電車」583系カラーになった特急車両が登場 JR東日本が実車の画像を公開! 着々と“衣装替え”進む 中央線の立役者だった「明治の鉄道王」 全国展開した「軽便王国」は建設費10分の1も…10年あまりで見えた限界 この画像の記事を読む