旧駅名がストレートすぎ!? JR南武線の最閑散駅「津田山」 宅地に隠れた“ザ・工業廃線”の記憶
JR南武線で最も乗車人員が少ない津田山駅。どのような場所なのか現地を訪れてみました。小さな駅ですが、かつては貨物列車も発着。工業都市 川崎を支えた歴史が見えてきました。
JR(国鉄)の駅だけど私鉄の社長名由来
JR東日本が公表している「各駅の乗車人員」を見ると、2021年度、南武線で最も少なかったのは津田山駅(川崎市高津区:3173人)でした。次点の南多摩駅(東京都稲城市:5265人)よりも2000人以上少なく、百万都市「川崎」に所在しながら閑散駅ぶりがうかがえます。いったいどのような駅なのか、周辺を含め訪問しました。
駅は平瀬川のつくる谷に位置していました。北側には駅名の由来となった津田山(七面山)が、南側には森林公園とも接する広大な緑ヶ丘霊園があります。もう少しミクロな視点で見ると、駅の北側では南武沿線道路が並行し、南側では市立小学校が隣接しています。
先述の霊園のほか、かわさき北部斎苑の最寄りでもあるため、駅周辺には石材店が目立ちます。駅利用者にも、礼服に身を包み花束を持った人が見受けられました。住宅は主にその周辺に広がっていますが、そうした土地利用が、乗車人員が少ない理由かもしれません。
駅から500mほど坂道を上り津田山公園へ向かうと、そこには津田山碑と頌徳碑があります。2つの碑は1926(大正15)年1月に建てられ、頌徳碑には津田山の由来が書かれています。
玉川電気鉄道(東急の前身)の社長だった津田興二が、同地(七面山)一帯に大遊園地を建設しようと構想。計画は頓挫しますが、そのほかの事業である鉄軌道、電力、玉川遊園地建設などの功績が評価され、以降この地は津田の名にちなみ「津田山」と呼ばれるようになったのです。
ところで、駅の開業は1941(昭和16)年2月のこと。しかも当時は津田山ではありませんでした。改称されたのは敗戦色濃くなった1944(昭和19)年4月のことで、開業から3年は「日本ヒューム管前」という名称でした。
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