「死の鉄道」今や観光地に 旧日本軍が作った泰緬鉄道80年 壮絶な犠牲で生まれたローカル線 読み込み中... 拡大画像 アルヒル桟橋を東急製ディーゼルカーの観光列車が通過した直後に、観光客が記念撮影しながら歩く。木橋しか歩く道がないのだ(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 トンブリ機関区内でジャッキアップされたGEA型ディーゼル機関車の隣にはC56 15号機(713号)の姿。17号機と共に動態保存機として時々走行する。許可を得て撮影(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 Khwae Yai Bridge(クワイ川鉄橋)駅は『戦場にかける橋』が目と鼻の先。傍には719(C56 23)号機が保存。観光列車最後尾には、元JR西日本のスハネフ14形客車が連結(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 アルヒル桟橋の最寄り駅のTham Krasae Bridge(タムカセ橋)は観光客でいっぱい。線路へ降りて撮影も当たり前。観光列車到着直後の光景だ(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 アルヒル桟橋を渡るスハネフ14形連結の上りバンコク行き観光列車。木橋を超低速で走行する機関車や20m級客車の姿に冷や汗が出る。宿泊したホテルより撮影(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 3往復あるナムトック線の終列車は17時台と早い。機関車が夕焼けを浴びてアルヒル桟橋の木橋をそろりと渡ってきた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 日本では線路上、しかも鉄橋を歩くのは御法度。タイでは黙認なのか自己責任なのか線路内歩行は日常で、アルヒル桟橋は鉄橋を歩かねばホテルに行けない(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 アルヒル桟橋の保線作業。午前中の列車が来ない時間帯は木橋のメンテナンス中。腐朽した柱材を交換しているようだった。これも人海戦術である(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 交換設備のワンイェン駅でタブレット閉塞の閉塞器を見せてくれた。赤色であった日本と異なり緑色で正方形に近いデザインである(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 終点ナムトック駅の朝。右手の引き上げ線に停車していた始発列車が推進運転で構内へ折り返し、左手の勾配途中にある駅へ停車する(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 観光客で満載であった列車は、アルヒル桟橋でほとんどが下車。終点までは地元の行商の老婆と親子連れがのんびりと車窓を眺めていた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 「2601 IIIIII OH」の刻印は、皇紀2601年八幡製鉄所製のレール。ナムトック駅の先で遺棄されていた皇紀表記のレール。泰緬鉄道で使用されたか(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ナムトック駅の先はサイヨークノイ駅まで線路があるものの、観光列車がたまに走る程度の休眠状態だ。閑散期はがらんとしている(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 観光地のサイヨークノイ滝。右手の切り通しから泰緬鉄道の線路が滝の脇へと続いていたという(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 サイヨークノイ駅の傍らに保存されている702号、C56 4号機。現存するC56形のなかで最若番号機である。観光客の撮影スポットである(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 泰緬鉄道開通後、犠牲者数の多さから日本軍は要所に慰霊碑を建立した。クワイ川鉄橋至近の慰霊碑は1944年建立。毎年慰霊祭も実施している(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 クワイ川鉄橋駅の傍らに保存されているC56 23号機をはじめとした泰緬鉄道関連の車両。真ん中は一○○式鉄道牽引車、右は英国製機関車(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 車内販売というよりも地元民の物売りがしょっちゅうある。おばさんが準備するのは甘辛のソースに付ける串焼き(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 チョンカイの切り通しを減速して走行する上り列車。建設開始時は鑿岩機の到着が遅れ、岩盤の発破作業は手作業であった(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 チョンカイの切り通しは山塊をV字に切り崩した。鉄道隊第9連隊の兵士120名と捕虜500名が動員され、人海戦術で5か月かかった(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ナムトック駅から西へ約25km、ヒントクの切り通しと呼ばれた廃線跡はヘルファイヤーパス記念館として整備されている(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 2013年に訪れた際は、ツアー用の指定席があった。この車両は300バーツのツアー。2023年に訪問した際も指定席が存在していた(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 観光客で賑わうクワイ川鉄橋。列車通過の際は左右の待避所に逃げた観光客は、通過直後から線路を歩き記念撮影を楽しむ。鉄橋は歩いてよい(2018年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 Tham Krasae Bridge駅近くのレストランは眺望がよく、食事しながら気軽にアルヒル桟橋を走る列車を撮影することができる(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 アルヒル桟橋は崖に沿って木橋がうねる。断崖が矢のように出ている様を捕虜たちが「Arrow Hill」と呼び、それを聞いた日本兵が「アルヒル」と訛ったとの説がある(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 木橋は徒歩で近づくことができる。おそらく手前のコンクリート土台が泰緬鉄道時代のもので、戦後に奥のものへと改修されたと思われる(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 木橋の崖側には仏像が祀られた「カセー洞窟」があり、信心深いタイ人観光客がスマホで記念撮影をする(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ワンイェン駅。上りの観光列車が通過する前、駅長がタブレットをキャッチャーへ入れ、授受器へ装着する。通過も停車も、基本的に授受器でタブレット交換を行っていた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 上りの観光列車が通過。駅長と駅員が通過を見守り、運転助士が身を乗り出してタブレットを投げ、そして受け取る。迫力ある瞬間だ(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 終点はナムトック駅。駅名標にはさらにナムトック(サイヨークノイ滝)へ線路が描かれ、たまに観光列車が走行するという(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ナムトック駅は勾配途中にホームがあり、終列車は推進運転で構内外れにてスイッチバックし、左手の引き上げ線で滞泊する(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ターキレン駅の早朝。一番列車の直後、朝焼けとなる。ナムトック線だけでなくタイは野良犬が多い。狂犬病の心配もあるので噛まれないよう注意(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 カンチャナブリ駅周辺には、公平な立場で泰緬鉄道を紹介する「タイ・ビルマ鉄道センター」がある(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 タンビュザヤの泰緬鉄道博物館。泰緬鉄道の分岐点付近にある。2023年現在はミャンマーへの渡航自体が困難である(2018年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ミャンマー(ビルマ)国鉄C0552号機はC56 56号機だった。ミャンマー側で現存する唯一のC56だという。タンビュザヤにて(2018年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 タンビュザヤの泰緬鉄道博物館内で展示されていた路線図。正式な路線図ではなくコピーのようだが、詳細は分からなかった(2018年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 観光客が鉄橋脇で列車を避けるクワイ川鉄橋。1945年2月13日、連合軍の空爆によって中間地点のトラス橋が破壊された。日本の戦後賠償で2連の平行弦トラスを架橋(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 慰霊碑の碑文。碑文は日本語のほか、英語、タイ語、中国語、マラヤ語、ベトナム語、タミル語で書かれ、建設に関わった民族の多さを物語る(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 Tham Krasae Bridge(タムカセ橋)駅で降りる観光客の集団。多いときには列車内のほとんどの人々が下車する(2013年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 バンコク・トンブリ機関区で整備されているC56の動態保存機。タイ国鉄はC56を700番台と符号し、715号はC56 17号機となる。許可を得て撮影(2023年2月、吉永陽一撮影)。 この画像の記事を読む