空自入間基地の「一番古い保存機」とは? “殿”と成し遂げた「日本の空の原点」その後 読み込み中... 拡大画像 フランスで撮影された、徳川好敏大尉。乗っているのは「ファルマンIII」で、操縦席に座り右手で操縦桿を握っている。飛行帽を被っているが飛行服ではなく、狩猟用ジャケットにも見えるウール服を着てネクタイを締め、足には脚半を巻いたスタイルが興味深い(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 1910(明治43)年に徳川大尉がフランスで取得した飛行免許証(第289号)の実物。同大尉は後に陸軍中将まで昇進して、所沢飛行学校長や航空兵団司令官などを歴任している(日本航空協会所蔵)。 拡大画像 左横から見た「ファルマンIII」複葉機。2枚の主翼後方には普段は自重で垂れ下がる補助翼が確認できる。また機体前方には大きな1枚の昇降舵である前翼が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 上部の主翼を見ると木製木製の骨組みに羽布を張った構造が良くわかる。また、機体や主翼の強度を保つため、後の複葉機と比べて多くの張り線が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 機体下部のスキッド(ソリ)に取り付けられた4個のスポーク式タイヤ。接続部分には板バネ式のサスペンションが装着されて草地程度の不整地であれば離着陸は可能となり、同機の運用範囲はこれまでの飛行機と比べて大きく拡がった(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「修武台記念館」の格納庫に、「ファルマンIII」複葉機とともに展示されているF-1支援戦闘機の初号機。このほかにもV-107「バートル」救難ヘリコプターなども展示されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 歴史資料館「修武台記念館」の格納庫に展示される、日本初の飛行を行った「ファルマンIII」複葉機、いわゆる「アンリ・ファルマン号」の実機。木製の骨組みに羽布を張ったオーソドックスな当時の構造である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「ファルマンIII」の操縦席部分。エンジンとプロペラを機体後方に搭載する、推進式と呼ばれる構造。なお、このエンジンも、シリンダーごと回転する、いわゆる「ロータリー式」と呼ばれる特徴的な構造である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 1910(明治43)年12月19日、夕暮れ迫る代々木練兵場において徳川好敏大尉(当時)が操縦して日本初の飛行に成功した「アンリ・ファルマン号」。この時、数万人の市民も練兵場に集まって世紀の瞬間を見守っていた(日本航空協会所蔵)。 この画像の記事を読む