都電の線路の「出土」なぜ相次ぐ? 舗装の下にまだまだ眠ってる!? 発見された遺構の「その後」 読み込み中... 拡大画像 お茶の水橋の錦町線遺構。舗装を剥がすと1944年当時の状態が現れた。橋の継ぎ目部分は以前よりアスファルトが欠けてレールの頭が露出していたという(2020年1月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 お茶の水橋の錦町線遺構。カーブ内側は英国製の溝付きレールだ。工事のため碁盤目状にカッターが入って敷石が掘り起こされたが、断面が分かりやすかった(2020年1月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 錦町線遺構。コンクリート台座はお茶の水橋を模している。併用軌道の断面とレール部分を分かりやすいよう工夫して展示している(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 レールは鉄製のアングル材で固定されて軌間を正確に保った。アングル材は敷石のあいだに残っており、その延長線上にレールの固定穴がピッタリと合致した(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 軌間を保つための鉄製のアングル材と固定穴の位置関係。橋梁軽量化のためにこのようにしてレールを固定していた(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 CSTミュージアムの屋外で展示されている錦町線遺構の全景。長さ2m分が保存されており、軌道間の敷石が少しカマボコ状に迫り上がっている構造も分かった。 拡大画像 CSTミュージアムの屋外で展示されている錦町線遺構。レールの溝は敷石を固定するセメントでかたどられていた(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 CSTミュージアムの屋外に錦町線遺構が復元保存されている。発見されたときの敷石とレールが2mほど移築展示された(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 CSTミュージアム屋内では錦町線遺構の輸入レールが保存されている。温度や湿度が管理されており、ショーケース内での展示だ。溝付きレールの断面部も観察できる(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 溝付きレールと直線で使用された標準レールの繋ぎ目部分。レール頭の幅が異なるが繋ぎ目板を巧みに加工し繋ぎ合わせた。当時はこのようにレールを結合していた(吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋の遺構。敷石は小ブロック状で錦町線遺構と似ている。お茶の水橋と白鳥橋ともに同時期の架橋であり、敷石の設置方法も似た構造ではと推測も出来る(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構。カーブ内側のレール頭がくたびれている。架橋から廃止までの32年間、電車を支え続けてきた痕跡が見て取れた(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構。新宿区側の橋端部は掘り起こされており、溝付きレールの特徴的な断面も観察できた(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構を新宿区側から見る。錦町線遺構とは異なり、レールは内と外ともに溝付きレールだった。背後は安藤坂で「上64系統」のバスが見える。併用軌道はこの坂を上っていた(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構を文京区側から見る。写真の位置に大曲停留所があり、電車は橋上で停車した。停留所の由来は神田川が大きく曲がっている地点から(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構。屈むと車輪のフランジ側が若干高く、逆に敷石のほうがわずかに低く見える。橋も若干カマボコ状となって盛り上がっている(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構。首都高速道路は39系統廃止後に竣工した。奥の新宿区側が15系統との分岐場所だった。この位置が大曲停留所の停車位置と推測する(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 CSTミュージアムの屋外で展示されている錦町線遺構。1930年米国ローレン・スティール社製のレール。昭和初期はまだ輸入レールも多かったという(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋遺構。文京区側の橋端部を見る。敷石は部分的に撤去されているが、断面も少し確認できる。石の種類まではすぐ特定できなかった(2024年10月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 白鳥橋見学会は平日の2時間という時間帯であったが、事前申し込み不要で自由に見学できるため非常に多くの来場者でにぎわった(2024年10月、吉永陽一撮影)。 この画像の記事を読む